1999 Fiscal Year Annual Research Report
日系企業の東南アジア進出と国際的都市圏形成-シンガポールの事例-
Project/Area Number |
11680084
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Research Institution | Ritsumeikan University |
Principal Investigator |
生田 真人 立命館大学, 文学部, 教授 (40137021)
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Keywords | 成長の三角地帯 / シンガポール / マレーシア / インドネシア / 多国籍企業 |
Research Abstract |
シンガポール島は、第2次世界大戦以前のイギリス植民地時代に、すでにジョホール州との間に陸橋が敷設されて陸続きとなっていた。陸橋はマレー半島内で産出されるゴムや錫の積み出しのためであったが、両地域間の緊密な関係は長い歴史を持っている。第2次世界大戦後の同島の自治領から独立に至る経緯の中では、旧マラヤとの連邦形成との関連から、1960年代早期に産業基盤整備が進展した。このため、外資導入は他の東南アジア諸国よりもかなり早い時期から進んだ。シンガポールの1970年代の経済成長を支えたのはこの工業団地造成によるところが大きい。そこには欧米系やあるいは日系企業などの直接投資が続いた。 1980年代になると、島内の製造業の中には近接するジョホール州へ立地移動を行うようになった。狭小な同国内では生産拡大にともなう用地の拡張は難しかったのである。こうして例えば、電気・電子製品製造業では、バタム島で労働集約的製品が、ジョホール州ことに中心都市のジョホールバルなどでは量産型のAV機器が、そしてシンガポールでは技術集約型の製品が製造されるようになった。労働コストの国別相違を巧みに利用した企業内生産分業が形成された。 成長の三角地帯の形成については1980年代末のシンガポールの政策が指摘される。しかし、マレーシアでは1970年代以降、地方工業化の観点からジョホール州でも工業団地開発などの基盤整備が進んでいた。また、インドネシアのバタム島開発では、1970年代の初期から総合開発計画が進行し、保税地区指定もなされていた。1990年代に入って急速に進展したかのようにみえる成長の三角地帯も、それ以前の1970年代からマレーシア、およびインドネシア政府の地方開発の努力があったのである。
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