1999 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
11710088
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
宮内 泰介 北海道大学, 文学部, 助教授 (50222328)
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Keywords | 移民 / 池間島 / 組合制度 / カツオ / シアミル / 南洋群島 / 戦争 / 引き揚げ |
Research Abstract |
調査対象の池間島におけるカツオ漁・かつお節生産は、1906(明39)年、鹿児島人によって始まった。その背景には、明治31年の「遠洋漁業奨励法」に代表されるような国家の近代漁業育成政策があったが、沖縄県庁も積極的なカツオ漁業に対し、積極的な奨励政策をとっていた。 池間島のカツオ漁・かつお節製造の特徴は、他の沖縄のカツオ漁の村々と同じく、(1)カツオの一本釣りは本土からの"技術移転"であること、(2)集落組織と一体となった組合制度であること、(3)餌取りと一本釣りが同じ担い手により、餌取りは追い込み漁によること、などであった。池間島のカツオ漁は、沖縄全体と同じく、大正年間にピークを迎えるが、昭和に入るころにはすでに経営が破綻していた。 こうした事態を打開するために始まったのが、1929年よりの「南洋漁業」であり、北ボルネオ・シアミル島および南洋群島へ漁業移民が始まった。これらの移民の形態は、(1)独身男性、(2)夫婦・家族(あとから呼び寄せる形が多い)、(3)独身女性、の3つあった。池間島民が南洋漁業へどんどん出ていった理由として資料や聞き取りから浮かび上がってくるものは、(1)組合の破綻、(2)南洋群島やシアミルにおいてカツオ漁・かつお節生産が軌道に乗りはじめていたこと、(3)沖縄漁民が求められたこと(餌取りにおける優位性)、(4)政府(沖縄県、南洋庁)による奨励、そして、(5)チェーン・マイグレーション(誰かが移民を始めるとそれをつてとして次々に移民が進む)などである。 移民たちの聞き取り調査から浮かび上がってきたものは、(1)移民生活が心地よかったという印象をもっていること、(2)現地島民との関係は個人差があること、(3)移民体験の中に都会体験を随伴していること、(4)移民たちが移民先で想像以上に移動していること、などである。 また、その引き揚げについては4つの類型に分けられる。
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