Research Abstract |
人権教育のための国連10年に呼応して,わが国でも国内行動計画が策定され,それに続いて99年7月には人権擁護推進審議会より,人権教育・啓発についての答申が発表された。人権教育の進展は歓迎されるが,果たして,日本の人権教育は世界の中でどのような位置にあるのか,また,日本は人権教育の概念や方法論の背景にある理念などを他国とともに十分に共有しえているのか,という疑問が残る。本調査は,このような問題意識からスタートした。99年度は主として,日本国内の学校の教員を対象にした意識調査のほか,フィリピンの学校における人権教育を調査した。 【1.教員を対象にした意識調査】 アンケートは,夏期休暇中などにおける研修会を利用し,約2000人の回答を得た。その結果,日本では多くの教員が人権を「人への思いやり」といった価値観のレベルでとらえており,人権教育が,権利の具体的な内容の理解,あるいは民主主義や法の支配といった概念に対する理解と結びついていないことが明らかとなった。日本では,「参加型学習」などの新しい方法論への関心は膨らんでいるものの,それらが市民と社会を有機的につなぐ手法としては十分に理解されていない理由の一つは,こうした「人権観」とも関連があろう。 【2.フィリピン現地調査】 一方フィリピンは,1986年のEDSA革命以後,新憲法の中で人権教育の実施がうたいこまれ,文化教育スポーツ省では初等中等学校向けの人権教育の参加型モジュールを開発し,現在その普及に勤めている。また,そこには人権委員会(フィリピンの独立した人権機関)やNGOも参画している。 フィリピンの人権モジュールでは,低学年の間は価値教育のしめる比重が大きいものの,人権擁護のシステム,法律,条約などが重要な学習内容ととらえられており,それらを通していかに自らやコミュニティの人権を擁護できるか,といったプラグマティックな学習が実施されている。また,具体的な事例を学んだあと,それらについて話しあい,分析し,まとめ,クラスで発表する,という一連のトレーニングのスタイルが幅広く定着している。したがって,参加型学習というタームは使われていても,それが日本のように,単なるゲーミングの手法を指すものではなく,学習者が学習プロセスに参加することを通して,社会に参加する態度や技能を身につける学習方法として理解されている。このようなモジュールを支えているのは,やはり,ようやく手にした民主主義社会を実質的なものとして機能させたい,という人びとの熱意と決意であろう。 なお,新年度は,さらにイギリスにおける調査をすすめ,さらに日本における人権教育のありかたについて検討をすすめていく予定である。
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