Research Abstract |
12年度は昨年調査した現生リュウキュウイノシシの,各島における頭骨の大きさと形態の比較を元に,貝塚から出土した頭骨について調査した。比較のために同時期の東北地方の貝塚出土イノシシについても同様に調査した。 琉球諸島の遺跡出土のイノシシについては,沖縄島の渡具知上原貝塚(縄文前期),野国貝塚B地点(縄文中期),古我知原貝塚(縄文後期),平敷屋トウバル遺跡(弥生〜古墳),中川原(弥生〜古墳),二重兼久原(弥生〜古墳),伊江島の具志原貝塚(弥生),波照間島の下田原貝塚(縄文後期),大泊浜貝塚(弥生〜古墳)を調査した。比較のために本州では宮城県の田柄貝塚(縄文後〜晩期),里浜台囲(縄文後期),畑中貝塚(縄文後〜晩期),西畑貝塚(縄文晩期),福島県の弘源寺貝塚(縄文前期),大畑貝塚(縄文中〜後期),薄磯貝塚(縄文晩期),相子島貝塚(縄文後〜晩期),寺脇貝塚(縄文後〜晩期)のイノシシを調査した。 その結果,研究を始めるに当たってたてた「縄文時代のイノシシは後の時代のイノシシより大きいと」いう仮説は主たる調査地域である琉球諸島では否定された。東北地方のイノシシでは,現在南部を除く東北地方にイノシシがいないので厳密な比較はできないが,ほぼ正しい仮説だった。しかし,琉球諸島では野国貝塚,(資料が少ないが)渡具知上原貝塚ともに縄文中期のイノシシは,現生リュウキュウイノシシと比べても非常に小さい。弥生時代ではほぼ現生のリュウキュウイノシシと同じくらいの大きさになり,極一部にリュウキュウイノシシよりも明らかに大きな個体が混じっている。琉球諸島の遺跡出土のイノシシは頭骨のほとんどの骨が破壊されていて,大きさの比較は歯の大きさによった。頭骨や下顎骨で一部に形態の特徴が出る程度に大きな骨が数点あったが,それらの骨の特徴は伊江島の大きな個体を除いて,すべてリュウキュウイノシシの物だった。しかし,残念なことに12年度に現生リュウキュウイノシシについて報告したような,島ごとの特徴がわかるような資料はほとんどなかった。
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