1999 Fiscal Year Annual Research Report
牛痘接種法の普及過程と天然痘による乳幼児死亡の変容-武蔵国多摩郡の事例-
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11871053
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Research Institution | Tezukayama University |
Principal Investigator |
川口 洋 帝塚山大学, 経営情報学部, 助教授 (80224749)
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Keywords | 天然痘(疱瘡) / 種痘(牛痘接種法) / 乳幼児死亡 / 流行年 / 江戸時代 / 武蔵国多摩郡 / 陰陽師 |
Research Abstract |
牛痘接種法(種痘)導入以前には有効な治療法のなかった疱瘡(天然痘)は、罹患した乳幼児に死亡する危険性の高い伝染病であった。しかし、疱瘡流行の実態、乳幼児の死因に占める疱瘡の割合、疱瘡に罹患した子供の看護方法、牛痘接種法導入・普及過程、乳幼児死亡率低下への寄与などについては、未解明であった。本年は、(1)武蔵国多摩郡における牛痘接種法の導入・普及過程、(2)疱瘡神を祭る信仰行事の具体像、(3)中藤村原山集落における疱瘡による乳幼児死亡の変容過程について検討した。結果は以下に要約できる。 (1)多摩郡では、嘉永3(1850)年2月に八王子の伊藤玄眠、3月に府中の織田研斎が牛痘接種法を導入した。中藤村で最初に牛痘接種法の受療者が記録されたのは、嘉永5(1852)年11月であった。指田藤詮の長男である保十郎(鴻斎)は、文久3(1863)年から牛痘接種法を実施して多摩郡北部でその普及に努めた。 (2)陰陽師である指田藤詮は、毎年、年初に行われる疱瘡日待(ホウソウビマチ)、年末の竈注連(カマジメ)を通じて疱瘡神を祭っていた。疱瘡患者が発生した場合には、一定の手順にしたがって祈祷が行われた。18世紀後期から19世紀の多摩郡全域において、陰陽師、真言宗僧侶、神主、修験山伏が主体となって指田藤詮と酷似した疱瘡神を祭る習俗が確認できた。これらの信仰行事は、牛痘接種法導入後も行われた。 (3)中藤村原山で疱瘡患者が10人を超えた年は、1836、1840、1843、1845、1850、1856年、20人を超えた年は、1836、1840、1843であった。原山では、1834年から牛痘接種法が導入された1852年の期間における子供の死亡者90人のうち52%、1853年から1870年の期間における子供の死亡者40人のうち25%が疱瘡による死亡であった。1834年から1852年までの疱瘡患者99人のうち47%、1853年から1870年の期間における疱瘡患者26人のうち38%が死亡した。牛痘接種法導入後、疱瘡による子供の死亡は着実に減少した。
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Research Products
(1 results)
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[Publications] 川口 洋,上原邦彦,日置慎治: "江戸時代における人口分析システム(DANJURO ver.2.0)の構築"情報処理学会研究報告「人文科学とコンピュータ」. vol.99,no.85. 17-24 (1999)