2001 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12610007
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Research Institution | HIROSHIMA UNIVERSITY |
Principal Investigator |
水田 英實 広島大学, 大学院・文学研究科, 教授 (70108257)
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Keywords | 人間知性 / 中世キリスト教思想 / トマス・アクィナス / 知的実体 / 脳科学 |
Research Abstract |
知性=人間知性という等式は近代西欧の知性論においてほとんど自明である。しかし古来の等式は知性=神的知性であった。じっさい古代ギリシアのヌース論において、アナクサゴラスからプロティノスにいたるまで、知性(ヌース)は常に経験的世界に対して何らかの仕方で原因として関係する超時間的な存在であり、時間的な存在としての人間が知性認識と関わるのは、受動的あるいは付帯的な仕方であって、人間自身が能動的・実体的な仕方で知性認識するとは考えられていない。もっともそこにおいて見出された知性は、実体としては神的知性の存在を想定させるものであるにしても、その作用に関しては「人間知性」の営みでもありえたのである。問題はむしろそこにいう人間知性の実体性を、神的知性とは別種の知的存在に固有のことがらとして帰属させることができるかという点にあった。この点は意識や感情のはたらきの総体を「こころ」と呼び、対応する身体器官として脳を措定する場合にも、当然問題になる。精神活動を営む機能としてのみ存在するのであれば、「こころ」そのものの実体性は否定されるからである。この見解は、かつて西欧中世にアリストテレスの『デ・アニマ』がもたらされたときに、同時に導入されたアヴェロエスやアレクサンドロスの説と軌を一にしている。これに対して、事実として身体や諸器官を備えた時間的存在でありながら、根源的には一個の知的実体として存在するところに「人間」の本来のあり方を見出したのは、トマス・アクィナスであった。十三世紀以降、西洋思想界において人間知性をめぐる三つ巴の論争があり、デカルトの所説もまたこの論争の中でトマス説を継承していると考えられる。しかし中世キリスト教思想家としてのトマスの所説を起源とする人間知性論にはデカルト説との相違も見出される。拙論「トマス天使論序説-知るものとしての知性-」は特にこの点を解明し発表したものである。
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Research Products
(3 results)
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[Publications] 水田英実: "トマス天使論序説-知るものとしての知性-"シンポジオン. 46号. 52-71 (2001)
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[Publications] 水田英実: "アウグスティヌス『神の国』にみる危機認識"山代宏道編著『危機をめぐる歴史学』刀水書房. (発行予定). (2002)
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[Publications] 水田英実(共著): "中世ヨーロッパ文化における多元性"渓水社(発行予定). 250 (2002)