2001 Fiscal Year Annual Research Report
初期ギリシア哲学における認識論的観点からの人間把握について
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12610009
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Research Institution | Kanazawa University |
Principal Investigator |
三浦 要 金沢大学, 文学部, 助教授 (20222317)
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Keywords | クセノパネス / 知識の有限性 / 真実と思わく |
Research Abstract |
本年度は、クセノパネスの人間理解を主に考察した。彼は、すでにホメロスにも見られる人間の知識と神的な知識との(いわば伝統的な)対比をより厳密に捉えようとしている。つまり、クセノパネスは、.ホメロスの過剰な神人同型主義を徹底的に批判しながら、神的なるものをまずもって知覚する存在(思惟)として理解した上で、その本性的な完全性から神の認識の完全性・全体性を導出し、同時に、身体的実体としての人間の有限的なあり方からくるその思惟の不完全性、そしてその帰結としての知識の有限性を、強調する。ここに、クセノパネスによる神との対比における人間の根源的な存在様態への洞察が看取できる。ただし、このような人間の自己認識はクセノパネスにおいて不毛な懐疑論や不可知論に直結することはない。クセノパネスは、人間が、原則的には不確実な自己の知識を、能動的な問いかけや探求の末に、神的な知識つまり真理へと高めていくことの可能性を示している。このとき彼は、直観や天啓といった認識のあり方に援助を求めてはいない。逆に、彼によれば、全体として見、聴き、思惟する神と対照的に、部分的に見、聴き、思惟することしかできない人間は、まさにこの自己の身体的有限性をふまえて、自らの感覚と思惟への信頼性に地歩を置いて探究することにより真実へと接近しうるのである。その結果として獲得される「思わく」は限りなく真実に近づく。ほぼ同時代の歴史家ヘカタイオスは『歴史』において自己の直接的探究と直接的経験に歴史叙述の基盤を設定すると宣言しているが、この点で両者は軌を一にしていると言える。クセノパネスの経験主義と言えるものは、観察可能な世界に、実際には観察されえない新たな実体を導入せず、また、直接経験の対象となるものはいかなるものも抹消しないという認識論的原則(その端緒はすでミレトス派において見られた)によって特徴づけられよう。
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Research Products
(1 results)