2000 Fiscal Year Annual Research Report
阪神・淡路大震災による北淡町の地域社会と住民生活の変容
Project/Area Number |
12610187
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Research Institution | College of Nursing Art and Science, Hyogo |
Principal Investigator |
岡元 行雄 兵庫県立看護大学, 看護学部, 教授 (90177098)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
福留 瑠美 兵庫県立看護大学, 看護学部, 助教授 (40295754)
松浦 和幸 兵庫県立看護大学, 看護学部, 教授 (80254465)
長屋 昭義 兵庫県立看護大学, 看護学部, 教授 (00076382)
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Keywords | 阪神・淡路大震災 / 北淡町 / 浅野地区 / 祭り / 厄年 / 壇尻 / 講 / 町内会 |
Research Abstract |
当初計画の12年度と13年度を入れ替えて、北淡町浅野斗ノ内里と浜地区で調査をした。斗ノ内地区は河上神社の氏子である。河上神社の祭礼は育波や室津と多少異なっている。祭りの日程を宮総代が決定し、壇尻保存会に連絡する。壇尻保存会は厄年以降の男性がメンバーになっている。保存会は町内会の下部組織的な性格を持っており、町内会の副会長が保存会会長を兼務する。構成員は各隣保からでる。祭りの花代が活動費となり祭りを運営する。経費不足分は町内会が補填する。本厄の男性は保存会の人たちと一緒に壇尻を担ぐが、壇尻の先棒を担いだり拍子木を持って壇尻を先導する役割を担う。これらの役割は名誉なことと考えられている。震災の年の春祭りは中止となったが、秋祭りは町内会が主導して実施に漕ぎつけ、例年通り本厄の男性が餅まきをした。御輿担ぎは隣保長(約20名)がする。本厄の男性の服装も他の参加者と全く同じ。本厄の翌年以降も壇尻を担ぐケースが多いので、本厄が最後だという思いはない。祭りの日程を決めるときも本厄の男性が関与することはない。村から出ていった同級生にも祭り参加を呼びかけることが多いが、ほとんどの人は河上神社への寄付に協力するだけである。本厄の参加者も毎年3名から5名程度であり、人数的にも盛り上がりに欠ける。しかし、斗ノ内地区の住民にとって祭りや厄払いは大切なものであり、多額の金銭的負担をしている点は室津などと何ら変わらない。震災の年、里の壇尻小屋は倒壊したが、たまたま修理に出していたため壇尻の被害は免れた。壇尻の修理を震災前から計画しており、その修理費1200万円は、月々5000円を約5年間徴収して積み立てた。壇尻小屋の建設費用300万円も拠出している。震災による河上神社の修理費用300万円も浜と里で負担している。なお、祭り以外の宗教行事では講がいくつか残っており、行者講、お大師講、えびす講などについて聞き取り調査を実施した。震災後に消滅した講もある。室津、育波の講も補充調査を実施した。
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