Research Abstract |
この研究は,地方の人形浄瑠璃のかしらを資料として,人形浄瑠璃の発生と展開の問題を解き明かすことを目的としている。かしらの表現形式からこの問題を考える場合,うなづき機巧の変化は重要な意味を持つ。 人形芝居の三人遣いかしらのうなづき形式には,「引栓式」,「小猿式」,「ブラリ式」があるが,この他に,偃歯(えんば)の棒を上下させてうなづかせる,「偃歯式(偃歯棒式)」という方式がある。かつて,拙稿「人形芝居〈三人遣い〉の操り方の変遷-地方人形のかしらから-」(『年刊芸能』5号,平成11年3月)において,全国の三人遣いかしらの分布状況を周圏論で解釈することで「引栓式」と「小猿式」・「ブラリ式」の前後関係に関する仮説を立てたが,一人遣いから三人遣いに移行する過程を解き明かす鍵となるのが偃歯式(偃歯棒式)であると思う。これは,昭和35年,杉野橘太郎氏によって発見され,杉野氏,永田衡吉氏など諸氏が,三人遣いかしらのうなづき方式より前段階にある方式として注目してきたものである。しかし,偃歯式(偃歯棒式)は,一人遣いから三人遣いに移行する過渡的な段階にあると目されながらその理由が明確でなく,史的位置付けがはっきりしていないのが現状である。平成12年度に行った,2度の佐渡人形芝居のかしら調査で,佐渡の一人遣いかしらの中にも「偃歯式」の形式を留めるかしらが島内に点在していることを確認した。また去る平成10年の鹿児島県東郷文弥人形調査でも「偃歯式」の形式を留めるかしらを見出している。今まで,佐渡・東郷の一人遣い人形の中に「偃歯式」の形式を留めるかしらがあるということを指摘された事はなかった。この「偃歯式」かしらのあり方は,かしらの全国的な分布状況から見ると注目すべきことと考えられる。即ち,先の拙稿同様,「偃歯式」かしらの分布状況を周圏論で解釈するならば,中心部から最も遠い外周の一人遣い圏にも分布が及んでいるところから,三人遣い以前に遡るうなづき形式と考えることができるのではないだろうか。以上は,「偃歯式」かしらの史的位置付けに関する仮説であるが,今後もより多くの資料を収集し,仮説をより確実なものにしていきたいと思う。
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