Research Abstract |
1.ローマ学院の修辞学教授ファミアノ・ストラーダ(1572-1649)による『ローマ学院開講演説』(Prolusiones Academicae, oratoriae, historicae, poeticae, Roma,1617;Audomari, Apud Carolum Boscardum,1619),第二巻第二及び第三演説(Muretus)に於いて,ローマ学院の修辞学教育の伝統を築いたマルク=アントワーヌ・ミュレ(1526-1585),及び,フランチェスコ・ベンチ(1550[42]-1594)について論じられている。 2.ジョヴァンニ・ピエトロ・マッフェイ(1533[38]-1603)の『インド史十六巻』(Historiarum Indicarum libri XVI, Firenze,1558;Lugduni, Ex Officina iunctarum,1589;Histoires des Indes, Lyon, Iean Pillehotte,1603),第十二章に於いて日本に関する記述が見られ,日本語の文章の特徴について触れられている。 3.ハビアン『妙貞問答』及び『破提宇子』の比較から,論理学・修辞学に基づいて説明される教義としてのキリスト教に対して,相反する見解が見られることが分かる。これは,日本と西欧の宗教的対立の問題というよりも,言語の表現理論の相違という観点から捉えられる。つまり,西欧の修辞学の方法が,日本では適合し得なかったということである。 4.ミュレと同様,イエズス会『霊操』に於いても「想像力」の働きが重視されているが,詩歌・音楽の持つ芸術的効果を重んじて,修辞学教育にも応用したイエズス会は,日本の布教に於いてもこれを利用した。「すべての人の心に」(《in omnium cordibus》,トレント公会議,第二十四セッション,1563年)アプローチする為の,カトリック的修辞学思想の応用であると考えられる。
|