2002 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12630071
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Research Institution | Rikkyo University |
Principal Investigator |
菅沼 隆 立教大学, 経済学部, 助教授 (00226416)
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Keywords | 国民皆保険 / 皆年金 / 診療報酬 / 中央社会保険医療協議会 / 自由開業制 / 軍人恩給 / 敬老年金 |
Research Abstract |
医療保険の領域では、昨年度収集した中央社会保険医療協議会の議事録の分析、および昨年度に引き続き1950年代の医療保険制度改革と国民皆年金体制に関する資料の収集と整理を行った。 中医協議事録の分析から、これまで医師会と厚生省の強い影響力のもとで診療報酬体系が決定されてきたとされてきたが、それだけでなく支払側も一定の影響を及ぼしてきたことが明らかとなった。だが、全体として国民皆保険が実現されていない状況のもとでは、医療の効率化よりも医療給付の普及に関心がおかれていたといってよく、医療普及型の診療報酬論議が展開されたと言ってよい。しかし、注目すべきはイギリス型の国民保健サービスへ移行する論議は中医協の中ではほとんどなされておらず、社会保険を基軸に医療保障制度を改革していくということが暗黙の前提となっていた。医療サービス供給を急速に拡大していくためには、自由開業制に基づく医療供給の「自由参入」が優先された。このため自由開業制を前提に多様な経営形態の医療機関が容認され、診療報酬体系は単純な形式のものが目指された。その結果案出されたのが単純出来高払い制の診療報酬体系であった。 国民年金制度の領域では、1952年の軍人恩給(遺族年金)の復活のプロセスを分析した。敗戦後の平和主義、反戦前意識を伴った近代主義、平等主義という価値観に抗して軍人恩給の復活がなされたため、軍人恩給非受給者との間に生じた不平等意識・不満に対して、一部の地方自治体が敬老年金として採用し始めた。1950年代半ばの国民皆年金論議においては、主として租税方式を念頭においていたものが多く、社会保険方式が前提とされていたわけではなかった。社会保険方式が論議されるのは1957年以降のことであり、「国民皆年金」と「国民皆年金保険」は区別されるべきものであることが確認できた。
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