2000 Fiscal Year Annual Research Report
日系企業の東アジアでの事業展開が長野県経済に及ぼす影響と企業対応
Project/Area Number |
12630075
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Research Institution | Senshu University |
Principal Investigator |
宮嵜 晃臣 専修大学, 経済学部, 助教授 (30200158)
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Keywords | 日系企業の海外事業展開 / 産業の空洞化 / 脱工業化 / 長野県経済 / 東アジア / 部品の現地調達 / 中国進出 / EMS |
Research Abstract |
日本企業の海外事業展開の最大の契機は円高にあり、日系企業の海外事業展開が産業の空洞化、脱工業化をもたらす要因になりうるが、1985年の「プラザ合意」後の第3次円高の下で産業の空洞化、脱工業化が一般的には本格化しなかった根拠はいわゆるフルセット型の産業構造が柔軟に構築され、存続してきた点にある。製品のアッセンブル工程が東アジアに移管しても、国内生産拠点では高付加価値品の生産にシフトし、また東アジアへの直接投資によって資本財、中間財の輸出増大が誘発され、生産の増大ももたらされ、産業の空洞化を顕在化することなく、産業の高度化を実現してきたからである。長野県からのアジア向け輸出も1985年の1,001億円から1999年には4,714億円に飛躍的に増大した。アジア向け輸出品目は電子部品・デバイスが中心となっており、県内の各産業集積の重点がAV機器の生産から電子部品・デバイスの生産に柔軟にシフト対応しえたことにその要因がある。 しかし、アジア向け輸出も1997年の5,593億円からピークアウトし、長野県経済にもかげりが生じている。その理由は日系企業の東アジアでの事業展開が1993〜95年の第4次円高を契機に変質し、高付加価値品の生産移管、部品の現地調達の拡大、製品・部品の逆輸入、設計開発の現地化の本格的始動が開始され、定着、進展している点にあると考えられる。長野県経済は精密機械産業からAV機器産業、さらに電子部品、電子デバイス分野に柔軟にシフトすることに成功し、そのことで国内では比較的に良好な経済パフォーマンスを維持できたが、県内メーカーの東アジア、ことに中国進出が93年以降急増している。長野県企業のアジアでの製造事業所は1992年の162箇所から1999年には316箇所に倍増し、中国では同期間に14箇所から95箇所に拡大しているのである。こうした進出が東アジアでの部品・デバイス、部材の現地調達を高め、したがって部品等の長野県からの輸出の伸びを抑えるものとなり、東アジアからの部品等の輸入が国内の受注単価を低下させるものとなっている。 こうした状況下での企業対応であるが、国内的に対処する余地は次第に限られており、技術ニッチ型、短納期・試作加工型、技術提案型の企業も見られるが、海外展開を伴う対応が主たるものになっている。そのなかで、台湾メーカーと提携し、中国でパソコンと製造し、それを自社ブランで販売する、もともとOEM生産を主業務にしていたI社、韓国のパソコンメーカーを買収し、EMSを積極的に展開するPCBメーカーであるK社が注目される。東アジアでの独自のネットワークの構築の方法のなかに、企業成長の原動力が見られるのである。
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Research Products
(1 results)