2001 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12680004
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Research Institution | Nihon University |
Principal Investigator |
小島 智恵子 日本大学, 商学部, 講師 (70318319)
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Keywords | 原子力 / フランス原子力庁 / フランス電力公社 / 原子力発電 / エネルギー |
Research Abstract |
これまでフランスに於ける原子力開発史の研究は、主にフランス原子力庁CEAやフランス電力公社EDF関係者によってなされてきたが、主観的な分析となる傾向が否めない。本研究では、日本人研究者の立場で、仏原子力開発史を客観的に画くことを試みた。また資料に関しては、先行研究では詳しく調べられていない科学雑誌も題材とし、初期CEAの姿勢の変遷とエネルギー資源としての原子力の台頭を明らかにした。 (1)研究資料について 仏原子力開発史研究においては、CEAの年次報告書等原子力研究機関誌が基本的な一次資料であるが、本研究では科学誌全般(概要には一部のみ掲載)も対象とし、その中で原子力開発がどの様に扱われていたのかを調べた。これらの雑誌に掲載された原子力関係の記事は、可能な限りコピーし、資料目録を作製した。 Les Atomes(1946-1965) 1946年に創刊された一般科学雑誌であるが、創刊号第1ページをF.Joliot-Curieの記事が飾るなど、1950年代半ばまでは、詳しい原子力関係の専門的記事を多数掲載している。仏原子力史の第I期(1945-51年)を調べる一次資料は、CEAの年次報告書以外殆どないことをふまえると、初期の仏原子力開発史研究における資料的価値は、非常に高い。 Revue francaise de l'energie(1949-84) 1949年に創刊されたエネルギー全般を扱う専門誌で、後にRuvue de l'energieと雑誌名が変更される。石炭・石油といった従来のエネルギー資源に対して原子力がどの様に台頭していったのかを調べるには必見の資料である。 (2)CEAの姿勢の変遷 フランスでは1950年にJoliotがCEAを解任された後、CEAが軍事目的でPu生産を行ったというのが通説である。しかし、1954年のLes Atomesに掲載されたJoliotの論文他によると、彼が当初からPuによる核燃料サイクルを目指していたことが分かる。Joliot解任直後に、CEAが軍事用Pu生産へと急転換した訳ではなく、科学者の間では、Joliotの方針で研究を進めているという意識が高かったと考えられる。 (3)仏エネルギー誌にみる原子力の台頭 Revue francaise de l'energieの中で、原子力は1952年に初めて登場し、仏原子力史の第II期(1952-57年)には、政府の原子力計画・原子力の経済性・Euratom等に関する記事が年に5〜10掲載されている。その中で注目すべきなのは、当時EDFの研究部門長であったP.Ailleretの一連の論文である。既に1954年には、原子力発電開発の必要性を強く訴え、以後もその主張を繰り返している。フランスにおいてまだ原発の実績が全くない時代に、原発を一般にアピールし、EDFの原発開発を促進させたのは、彼の意見に依るところが大きい。
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