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2001 Fiscal Year Annual Research Report

カシミール・シヴァ派による仏教思想の批判と受容

Research Project

Project/Area Number 12710010
Research InstitutionThe Eastern Institute

Principal Investigator

戸田 裕久  財団法人東方研究会, その他部局等, 研究員 (40280656)

Keywordsカシミール・シヴァ派 / ヒンドゥー教 / トリカ(Trika) / sakti / シャクティ / 知覚 / 認識論 / 仏教
Research Abstract

カシミール・シヴァ派の基本文献であるIsvarapratyabhijna-karika(『主宰神再認識論頌』),およびそれに対する註Vimarsiniの第1章「知覚章」第5課は,主宰神たるシヴァの有する「知覚の可能力(jnana-sakti)」という概念を論ずる箇所である。そこでは冒頭でシヴァ教独自の神学的教説を提示した上で、知覚一般に関する認識論的な問題に立ち戻って議論を展開している。まず知の光照作用(prakasa)と対象(artha)との関係が問題となる。光照作用とは、知が光り現れ、かつ、対象が知によって照らし出されることをいう。対象と光照とが別物であるとした場合に帰着する難点を列挙することにより、両者が無区別一体であるか、光照の中に対象が内在するかしなければ、対象認識が成立しないということが論証される。次に光照作用が個別的な対象を特定するのであり、光照が対象の成立にも関与していることが論じられる。また対象の個別性は光照の個別性によるのであり、その個別性をもたらす要因が追究される。そして知の成立する場として知覚成立の諸要因はすべて認識主体に帰一せられるとする。これらの議論において、範疇論的実在論に立つ説一切有部と厳密な刹那滅論者である経量部との間に論争が利用されるのであるが、両派とも外界対象実在説に立つ点を唯識論者から批判されうる。このような仏教諸学派間の三つ巴の論争を踏まえて、シヴァ派は唯識論に近い立場を採り自説を掲げる。主宰神が究極的認識主体であり、知覚という日常経験に関与しているとの主張である。
また救済論に関連して、「苦」の観念についてサーンキヤ学派の所説からの影響を先年指摘したのであるが、再考したところ、仏教の所説との近似性が見られた。「一切諸行苦」が「一切諸行無常」と表裏一体であり、苦は実体的なものではないという点である。

  • Research Products

    (2 results)

All Other

All Publications (2 results)

  • [Publications] 戸田裕久: "再認識論文献における光照(prakasa)に関する議論"佐々木孝憲先生古稀記念論集. (印刷中). (2002)

  • [Publications] 戸田裕久: "インドの一元論神学における苦の観念"法華文化研究. 第28号(印刷中). (2002)

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Published: 2003-04-03   Modified: 2016-04-21  

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