2014 Fiscal Year Annual Research Report
古代中国における伝統の創造について-六朝隋唐を中心としてみた-
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12J09550
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
戸川 貴行 東京大学, 人文社会系研究科, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 僑民の土着化 / 孝武帝の改革 / 鍾磬 / 3ランク / 皇帝を頂点とする楽制 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は4世紀のユーラシア全土にわたる騎馬遊牧民の活動によって、心ならずも故郷である中原から江南に避難した漢族(以下、僑民という)の亡命政権である東晋およびそれを受けた南朝における僑民の土着化、それにともなう国家構造の変容、伝統文化の再構築について明らかにせんとするものである。 平成26年度は、南朝で整備された楽制が後の隋唐王朝、ひいては東アジアの王権のあり方を規定しているのではないかという見地から検討を行った。具体的な内容は以下の通りである。 西晋末の永嘉の乱により、漢・曹魏・西晋の楽制はそのほとんどが喪失・忘却されてしまう。その後、劉宋孝武帝は元嘉二十七年(450)の北伐失敗により中原恢復の可能性が極めて低くなったことをうけ、江南の亡命政権を中国の新たな正統王朝に再生させるべく楽制の改革を断行した。 かかる孝武帝の改革は梁の武帝によりさらに展開され、南朝では新たな楽制が創造されるに至る。それはのちに中国を再統一した唐にも継承され、皇帝を頂点とする新たな楽制の体系へと展開した。そうした体系のうち最も重要なのは、①皇帝以外の者が使用してはならないとされてきた、鍾磬とよばれる金属・石製の打楽器を復活させたこと、②A.中国雅楽>B. 中国と周辺諸国をもてなす宴饗音楽>C.百戯という3ランクをつくったことであった。 ①についていえば、朝鮮半島を統一する新羅、および日本では国家儀礼における鍾磬の使用が見られない。②に関しては、新羅、日本ともにA.は導入されなかった。もちろん両国の在来文化の影響もあろうが、皇帝を頂点とする楽制の見地からみたとき、それは東アジア最大の大国である中国の存在を無視できなかったためでもあったと考えられる。
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Research Progress Status |
26年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
26年度が最終年度であるため、記入しない。
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Research Products
(4 results)