2001 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
13018233
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research on Priority Areas (A)
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
岩田 孝 早稲田大学, 文学部, 教授 (80176552)
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Keywords | pramana / 世尊 / 一切智者 |
Research Abstract |
佛教論理学派(五世紀以降)は、物事の認識を成立させる根拠、即ち、量(pramana)としての正しい認識を推論と直接知覚に限定し、この根拠に基づき、物事の在り方を可能な限り論理的に記述することに努めた。この考え方の延長には、佛教の開祖である仏世尊自身についての言明もこの根拠による考察の対象となる、という視点が含意されている。実際に、この学派では、世尊は量である、という佛教において自明とされる命題、つまり、世尊は、認識の拠り所である量の如く、世間にとって信頼される拠り所たる公準である、という命題についても、詳しい論証を試みている。今年度は、世尊が何故に量、公準であるのかを証明した法称(七世紀中葉)、及び、法称の著作の註釈者であるプラジュニャーカラグプタ(八世紀後半)の解釈を文献的に吟味した。世尊が量であることの論証は、法称によると、世尊は、世間の饒益を願い即ち慈悲を有し、世間の師となるべく無我の観想に努め、称讃されるなどの特質を有した善逝となり、世間を救済する故に、量である、という思考形式で推論される。ここでは、それぞれ先行する項目が後続の項目の原因であることが前提となっている。例えば、慈悲を有することが原因で、それから世間の師となる実践が結果するという如くである。しかし、原因から結果を導くことは一般的には成立しない。そこで、プラジュニャーカラグプタは、その証明において、原因から結果を導く為に必要な必然性を原因の方に付加する工夫を諸処に挿入している。こうした思考方法を文献的に精査し、それを慈悲の視点から、また、一切智者の視点から分析した。
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