Research Abstract |
1,本研究の結果,平氏家人は,頼朝に一元的に統轄された鎌倉幕府御家人と違い,平氏一門を構成する各家とそれぞれ個別に主従関係を結んでおり,平氏の正規軍は,これら一門メンバーを中心とする軍事集団の,いわば「連合艦隊」であったことが明らかになった。その中でももっとも有力な軍事集団は,小松内府重盛家と時子が生んだ一門主流の人びとのそれである。 2,平氏の二つの有力軍事集団について,(1),源平内乱期の前半,小松内府家の御家人を統率していたのは,乳父藤原忠清に後見された嫡子維盛であった,(2),一門主流では,重盛亡き後平氏の後継者になった宗盛が,多数の御家人を従えていた,(3),しかし,平氏という巨大権門の公的な代表である宗盛が,自ら兵を率いて戦場に出るなど,実際にはあり得なかった。そのため,彼の代官として宗盛家人の指揮を執ったのが、同母弟の知盛・重衡,ことに武勇を謳われた後者で,重衡は忠清の弟で宗盛の乳父・乳父子であった景家やその子供たちの後見であるをうけながら合戦を遂行した,などが明らかになった。 3,その他,主題と関連し,その基礎または外延となる研究を精力的に行った。まず(1),平氏家人が対処のため動員された延暦寺大衆による嘉応・安元の強訴についての詳細な復元研究を行った。また,(2),安元の強訴にかかわる未翻刻史料である『愚昧記』安元三年(治承元)春夏記の翻刻と注釈を行った。さらに,(3),小松内府重盛の小松殿の位置と性格にかんする論文,および,(4),重盛が施主としておこなった四天王寺での万灯会の表白文の翻刻と内容分析の論文を書き上げた。最後に,(5),後白河院と平氏の王権をめぐる葛藤についても分析をおこない,論文として完成させた。これらはいずれも本年三月から六月にかけて印刷刊行される。 4,その他,平氏家人制にかんする史料収集と現地調査を行った。
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