2001 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
13610472
|
Research Institution | Kokushikan University |
Principal Investigator |
須田 勉 国士舘大学, 文学部, 教授 (30276448)
|
Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
亀田 修一 岡山理科大学, 総合情報学部, 教授 (10140485)
森 郁夫 帝塚山大学, 人文科学部, 教授 (50000477)
|
Keywords | 日本古代史 / 民間仏教 / 考古学 |
Research Abstract |
日本の古代仏教を国家仏教としてとらえるのではなく、古代社会のさまざまな階層に、どのような仏教がどのように受容されたのかという視点を重視した。ここでは、8世紀中頃以降の農村社会に広がった民間仏教を視座にすえ、仏教施設の建築構造および集落内から出土する墨書土器とその関連資料の分析を行った。 1農村社会に展開する仏教施設には、東大寺法華堂・二月堂の建築構造と対比できる双堂建築が存在し、東大寺上院地区における雑部密教に関る建築と、今日に到るまで悔過専用施設であった二月堂との関連から、東国の農村社会に広がったのは雑部密教で、しかも悔過の勤修を主とし、郡名寺院内に新たに設置された悔過所ともいうべき施設とも構造的につながっていたことが明らかとなった。 2そこで彼らが願ったことの多くが、致福や財富の獲得であることは墨書土器の内容から明らかであるが、そこには、日本古来の基層信仰である神や、外来の宗教である道教的信仰が融合していた。例えば、冥界の観念でいえば、奈落の世界に君臨する閣魔王の観念は、雑部密教が広がる以前に、古代日本的な黄泉の他界観念と中国渡来の地獄の観念とが争うことなく同居し、冥界に招されることをさけるために日本古来の神に奉ったのである。しかし、事はそれで完結したわけではなく、基層信仰のゆらぐなかで、そうした従来の方法をとりながら、それを最終的に救済したのは、雑密を中心とした仏教であった。 3そうした民象レベルでの神仏習合は、地方豪族の動向を含めて社会構造的に解決しなければならず、特に、この時期に盛んに行われた開発との関連は重要である。今後の課題としたい。
|