2001 Fiscal Year Annual Research Report
日本とスウェーデンの共同墓の比較―血縁突破・共同性・福祉国家という視点から
Project/Area Number |
13710132
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Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)
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Research Institution | Chukyo University |
Principal Investigator |
大岡 頼光 中京大学, 社会学部, 講師 (80329656)
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Keywords | 福祉国家比較 / 個別主義と普遍主義 / デュルケムの「人格崇拝」 / 祖霊と自然霊体 / 柳田國男と伝統的世界観 / 無縁 / ベルグソンの「開いた宗教」 / 共同墓と「家の境界」 |
Research Abstract |
広く公的に老人介護サービスを行なう福祉国家を形成するには、公的サービスが家の中に入り込むこと拒否する「家の境界」の意識を突破しなければならない。自分と縁のある老人だから介護するという個別主義を越え、縁がなくても普遍的にすべての老人を介護するのだという普遍主義にいたる必要がある。 これはデュルケムの人格崇拝の論理を展開すれば可能となる。自分と縁のあるなしとは無関係に普遍的にすべての老人の中に「聖なる」人格を認め、それを崇拝する。このように人格崇拝の論理を展開すれば、すべての老人の人格を崇拝する一種の儀礼として公的な介護サービスを充実させていくことが可能となる。 人格崇拝の論理は公的な老人介護サービスの最終的な基盤である。従来指摘されてきた公的な老入介護の根拠は、女性労働力の確保のためなど、いずれも国家の効率的な運営をめざす効率性の論理である。効率性に貢献しない介護サービスは、人格崇拝の論理の展開によってはじめて根拠づけうる。 個別主義を突破して公的な老人介護サービスを根拠づける人格崇拝の論理の契機が、日本における、祖霊の融合化といった伝統的世界観の中にも見いだしうるかどうかを、柳田國男の著作を中心にして検討した。ポイントとなるのは無縁仏をどう考えるかである。そもそも無縁なるものは存在しないという世界観を示すものとして水俣の自然霊体への融合回帰をとりあげ、それが人格崇拝やベルクソンのいう「開いた宗教」につうじることを指摘した。 以上の検討の上で、もともとは縁のない人びとが一つの墓に入る共同墓をとりあげた。墓は「家の境界」を象徴するものだが、墓が共同化されることで「家の境界」の意識が突破され、人格崇拝的な論理が広がっていくことになるのかどうか。そういう視点から、スウェーデンの先行研究の検討や日本の共同墓の調査報告を行った。 最後に今後の共同墓の比較研究への展望を行った。
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Research Products
(1 results)