2003 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
14510388
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Research Institution | Ehime University |
Principal Investigator |
菅谷 成子 愛媛大学, 法文学部, 助教授 (90202126)
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Keywords | 近世史 / フィリピン:スペイン / 移民 / 華僑・華人 / マニラ |
Research Abstract |
本年度は3年計画の2年目で、昨年度に引続き、先行研究および入手済みの資・史料を整理・分析した。また、2003年8月8日〜9月7日の1ヶ月フィリピンにおいて、現地における最新の資料状況を調査し、それらの収集を行うとともに、今後の文書館調査に必要な情報を入手した。具体的には、昨年度に引続き、18世紀中葉から19世紀初葉におけるスペイン領マニラにおける中国人と現地女性の婚姻の記録である結婚申請文書等の分析・検討を基礎にして、具体的な事例を集積するとともに、スペイン総督府がカトリック教会を従属させながら中国人を植民地体制に取り込み、「スペインの臣民」として把握しようとしたことを跡づける作業を行った。その成果の一部は「スペイン領フィリピンにおける中国人統治--『異教徒の他者』から『スペイン国王の臣民』へ--」『人文学論叢』に発表した。ここでは、18世紀後半のスペイン領フィリピンにおいて、マニラの総督府が中国人移民を受入れ、その社会を統治するに当たって、その理念や統治方針が、とくに財政的な考慮との関連で具体化された点を指摘した。また「18世紀末葉のスペイン領フィリピン--マニラ市の『パリアン再建』建議をめぐって--」『愛媛大学法文学部論集』では、スペインの都市自治体、植民地都市マニラ市にとって、16世紀後半以来その住民であった中国人がどのような存在であったのかについて、マニラ市とスペイン総督府との力関係を軸に詳細に分析することで、スペイン領フィリピンの歴史に位置づけて明らかにした。以上から、当該期の中国人は、カトリック受容を基礎にした現地女性との婚姻の進展により、教会を通した管理体制に取り込まれ、スペイン総督府およびマニラ市にとって「脅威」ではありえず、全体としては、スペイン当局が「スペイン国王の臣民」として把捉できる枠組が整っていったと考えられる。
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