2002 Fiscal Year Annual Research Report
中世宋様式の導入と伝播に関する研究 〜北京律僧の活動を中心として〜
Project/Area Number |
14750540
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Research Institution | National Research Institute Cultural Properties, Nara |
Principal Investigator |
箱崎 和久 独立行政法人文化財研究所, 奈良文化財研究所・飛鳥藤原宮跡発掘調査部, 研究員 (10280611)
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Keywords | 北京律僧 / 泉涌寺 / 俊〓 / 宋様式 / 十六観堂 / 鎌倉時代 / 伽藍 / 指図 |
Research Abstract |
泉涌寺長老と北京律僧 入宋を果たした北京律僧には、泉涌寺開山の俊〓をはじめ、戒光寺開山の浄業、仏牙舎利を請来した湛海、泉涌寺第4世長老の智鏡らがいる。重源や栄西に代表されるように、鎌倉時代初期の入宋僧は教団を形成することがほとんどない。そのなかで、北京律僧が泉涌寺や戒光寺を中心とし、入宋僧集団ともいうべきまとまりを形成していたことは改めて注目される。泉涌寺第3世の定舜は、南都海竜王寺に招かれて泉涌寺の規式による講義をおこなっており、泉涌寺僧が南都教学の指導的な立場にあったことが知れるが、西大寺叡尊の『感身学生記』によれば、これは宋風の強いものであった。このように、入宋僧を抱える北京律教団は、宋文化を移入させ、また指導的な立場にあったことで、国内の宋様式の伝播にも多大な影響力をもったと推定される。 泉涌寺伽藍の特徴 泉涌寺の中心伽藍は俊〓の残した勧進疏などにより、宋様式の強いことが知られている。これまで中央伽藍のみ注目されてきた感があるが、俊〓の目指した伽藍は、『造泉涌寺勧進疏』の「観堂教庠前後分措」という語から読み取れるように、十六観堂と中心伽藍の2つを並立させるものであった。その具体的な建築については、『東林十六観堂勧進疏』と『泉涌寺殿堂房寮色目』に記している。この十六観堂をもつ点が泉涌寺伽藍の特徴の一つだろう。 泉涌寺古図の建築 室町時代に描かれた泉涌寺古図を検証できる史料が、金沢文庫に残る元亨4年の泉涌寺真言院の指図である。指図によれば、真言院は南北棟で「シトミ」、「ツマト」などの書き込みが見え、住宅風の建築だったようだが、これはおおむね泉涌寺古図に描かれた真言院と一致する。したがって泉涌寺古図にみえる伽藍建築は、少なくとも鎌倉末期の様相を残していると解釈することも不可能でないことが判明した。
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