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2004 Fiscal Year Annual Research Report

第二次世界大戦以前のカナダ西岸における日系漁民の拡散構造に関する歴史地理学的研究

Research Project

Project/Area Number 15520508
Research InstitutionRitsumeikan University

Principal Investigator

河原 典史  立命館大学, 文学部, 助教授 (60278489)

Keywordsカナダ / 日系漁民 / 造船業 / 船大工 / ポートエシントン / 漁船の動力化 / 拡散構造
Research Abstract

本年度は、フレザー川河口のスティーブトンからスキナー川河口のポートエシントンへ移り、やがてスティーブストンにおいて日本人で初めて船大工として独立したM.S氏のライフヒストリーを通じて、カナダ漁業史における日系造船業の展開を明らかにした。
1909年、和歌山県西牟婁郡日置村に船大工の四男としてM.Sは生まれた。1914年、実兄M.Tはカナダへ渡航し、スティーブストンにあるキャナリーの造船所で船大工として従事した。やがてTは、長男をはじめとする血縁者を呼び寄せた。その後、漁船の動力化が進展すると、Tは1928年に造船技術の研鑽を積んでいた実弟のSに渡加を促した。
1932年、ポートエシントンにおいて同郷者の事故漁船の修理を契機に、Sは滋賀県犬上郡松原村出身者の造船業を手伝うようになった。しかし、前任者たちは日本で造船技術を修得していないので、実際にはSが責任者となった。スティーブストンからやや遅れて、スキナー川河口でも漁船の動力化が進行しており、Sの造船技術が嘱望されたのである。
1939年、スティーブストンのライトハウスキャナリー(1918年に焼失)の跡地に、高次な造船技術の有していたSは、日本人として初めてキャナリーから独立した造船所を開業した。バンクーバーで造船業を経営する日系人と異なり、スティーブストンで同業に携わるものは、和歌山県西・南牟婁郡出身者が多かった。この事実は、和歌山県三尾を中心とする日高郡出身者がキャナリーで漁撈活動を担っていたことと対照的である。
1920年代以降の漁船の動力化に際して、日本人の船大工の果たした役割は極めて大きい。それまでの簡略な修理については、現地のカナディアンや日本での屋大工経験者が任されていた。しかし、動力船の新造に際しては、日本において造船技術を修得していた船大工、とくに多くの同業者を輩出していた和歌山県西・南牟婁郡出身者の活躍は看過できない。

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Published: 2006-07-12   Modified: 2016-04-21  

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