2015 Fiscal Year Annual Research Report
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15H05383
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Research Institution | Yamagata University |
Principal Investigator |
松本 雄一 山形大学, 人文学部, 准教授 (90644550)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | 古代文明 / アンデス文明 / 形成期 / 地域間交流 / 文明形成論 / 考古学 |
Outline of Annual Research Achievements |
平成27年度8月にペルーアヤクチョ県ビルカスワマン市周辺(アヤクチョ県南部)において遺跡踏査を行った。13の遺跡を踏査し、うち少なくとも4つの遺跡がカンパナユック・ルミと同時期の形成期中期から後期に対応することを確認した。そのうちの一つは従来後の時代の遺跡であると認識されていたものであるが、踏査によって形成期にも利用されていたことが明らかとなった。また、アヤクチョ県ワンカサンコス周辺で、神殿遺跡を新たに確認し(アルピリ遺跡)、ペルー文化省への報告を行った。さらに形成期に使用されていた二つの黒曜石産地、キスピシサとアルコ・プンコを踏査し黒曜石のサンプルを収集した。アルコ・プンコに関してはミズーリ大のグラスコック博士の蛍光X線分析によってカンパナユック・ルミ出土黒曜石の中に同産地産の黒曜石が存在する可能性が指摘された。これらの遺跡は全て標高3000m以上の気候帯に位置しており、同地域における形成期の活動の中心は高地にあったことが確認された。 今回の踏査によって、カンパナユック・ルミ周辺に少なくとも4つの同時代の神殿が存在することが明らかとなった。そのいずれもが在地的な建築様式を有しており、北部の大神殿からの影響が強いカンパナユック・ルミの建築とは大きく異なるものであった。また、形成期において最も重要な黒曜石産地であるキスピシサ近くにアルピリ遺跡という大きな同時代の神殿を確認したこと、キスピシサ以外のアルコ・プンコという黒曜石産地の黒曜石がカンパナユック・ルミに存在することが確認されたことによって、今後のアンデス全域における黒曜石流通のメカニズムが在地の視点から分析可能であるという見通しが得られた。特にアルピリ遺跡はペルー中央高地南部においてカンパナユック・ルミに次ぐ規模を有しており、これまでの同地域に関する後背地というイメージに大きく変更を迫るものといえる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
H27年度の踏査では、これまでのカンパナユック・ルミ遺跡発掘調査の成果をペルー中央高地南部という地域全体の考古学的な脈絡の中に位置づけるデータが得られた。これまでの調査からはカンパナユック・ルミが同地域内で唯一の神殿であったと想定していたが、今回の踏査によって複数の神殿建築が確認されたことによって従来「周縁」として捉えられてきたペルー中央高地南部における文明形成過程がより複雑なものであった可能性が示唆された。また、形成期後期にアンデス全域で流通する黒曜石の産地近くで大規模な神殿が新たに確認された(アルピリ遺跡)ことから地域間交流の活発化と神殿の成立、社会の複雑化が連動していたという申請者の仮説を支持するデータが得られている。 今回の踏査で確認された神殿建築はいずれも在地の様式を示しており、北部の大神殿チャビン・デ・ワンタルの影響を色濃く残すカンパナユック・ルミの神殿建築とは大きく異なる。カンパナユック・ルミは神殿の規模、建築の洗練においてやはり群を抜いた存在であり、「黒曜石の獲得と流通、宗教的重要性などの点でカンパナユック・ルミと他の神殿との間には階層的な関係が存在した」という仮説が提示できる。問題はこのような関係がいつの時期に生じたかということであり、カンパナユック・ルミにおける継続的な発掘調査によって神殿の建築と社会変化の相関を追及する必要がある。 今回の踏査では、神殿間の関係というマクロなレベルでの社会組織に関するデータに加え、アンデス全域の黒曜石の流通を考察するための新たなデータが得られた。したがって、本研究の目的である「アンデス文明の初期形成過程を周縁とされてきた地域から社会組織と地域間交流に焦点を当てて解明する」という点に関して必要なデータが順調に得られていると考える。
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Strategy for Future Research Activity |
今回の踏査で確認された神殿建築はいずれも不規則な基壇配置、自然の地形を取り込んだ建築など、在地の様式で建造されている。これに対して、カンパナユック・ルミの神殿建築は北部の大神殿チャビン・デ・ワンタルの影響を色濃く残しており、3.5ヘクタールの広がりと整然としたU字型の基壇配置など、建築の精巧さと規模の点で他とは一線を画しており、ペルー中央高地南部でも群を抜いた存在であったと考えられる。また、黒曜石産地と神殿との位置関係から、カンパナユック・ルミが同地域内の神殿、黒曜石産地を結ぶ地域における交流の結節点であったと考えられる。ここから以下の仮説を導くことができる。 ①黒曜石の獲得と流通、宗教的重要性などの点でカンパナユック・ルミと他の神殿との間には階層的な関係が存在した ② ①にみられる関係の中で、ペルー中央高地南部とチャビン・デ・ワンタルをはじめとする北部の大神殿との地域間交流は主にカンパナユック・ルミが担っていた。 ③ペルー中央高地南部は北部の大神殿の影響を受ける前から独自の在地的な神殿を建造していた。 これらの仮説を検証するためにはカンパナユック・ルミにおいて神殿の建築プロセス、社会変化、そして地域間交流に関するより多くのデータを収集する必要がある。そのため、今後はカンパナユック・ルミ遺跡において、神殿と居住域の双方で発掘調査を継続し、その出土遺物を分析することが必要である。神殿の調査によって、カンパナユック・ルミの建築がいつ北部の影響を受けたのか、初期の神殿が在地の様式であったかどうかを確認し、居住域の発掘によって社会変化のデータを得ることをめざす。さらに、遺物の分析を通じて地域間交流を示す遺物の出現頻度と時期を特定することが可能である。
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