2017 Fiscal Year Research-status Report
フーコー、レヴィナス、デリダにおける「性」、「親子」、「家族」の脱自然化
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15K01986
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
増田 一夫 東京大学, 大学院総合文化研究科, 教授 (70209435)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | デリダ / ハイデガー / 死 / 哲学的人間学 / 死刑 / カント |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、ハイデガーに想を得たフランス思想家を取り上げ、彼らにおける「人間」の脱自然化を、「性」、「親子関係」、「家族」を通じて考察するのを目的としている。初年度は、第二次世界大戦後フランスでおこなわれたハイデガー読解、とりわけサルトル、メルロ=ポンティのケースを取り上げ、第2年度は、「生政治学」に照準を合わせ、フーコーにおける「人間」、「性」、「統治」の分析に取り組んだ。 その過程で、哲学的人間学を脱構築するデリダの姿勢がフーコーともレヴィナスとも異質であることを再認識し、あらためてデリダの特異性を確認することにした。平成29年度の成果は、一部「喪のポリティクス――『私は死で動いている』の射程」(岩野卓司編『共にあることの哲学と現実』、書肆心水、2017年)に読むことができる。そこで論じたのは、デリダが、早くから「死」に焦点を当てることによって、いかに哲学的伝統が神学政治論的な人間観を有していたか、また何からの仕方で「死を超える生」を想定してきたかを示したということである。 哲学的人間学は、人間をある仕方で脱自然化している。ハイデガーの「人間のみが本来的な意味で死にうる」という命題は、一つの帰結を示している。その命題を批判的に考察する『アポリア』(1996年)は、デリダ的な脱構築の重要な著作であるが、本研究では1999年度より2年間行われたいわゆる死刑論講義を取り上げた。10月に「デリダと死刑を考える」というシンポジウムにてデリダのカント読解について発表をおこない、論文もまもなく公にされる予定である。哲学的言説において、人間は「単なる生以上の生」を生きる何者かであり、カントにおいて死刑は人間の尊厳を保証する刑罰とさえ位置づけられている。カント的なhomo noumenonとは異なる脱自然化ははたして可能か? それこそ、デリダが提起する問いだと言えよう。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度の早い時期にデリダの特異性をあらためて認識し、さらなる深化の必要を感じた。デリダは、1960年代、「人間諸科学」が台頭するなかですでに哲学的な人間学再考の必要性を説いており、その思想において「人間」の問いが占める比重は他の二名の著者に比べても大きいと言わねばならない。ある意味で、研究の進捗により、方向の転換とまでは言えないにせよ、重点を再配分する必要が出てきたとは言えよう。 そのなかで、「生」のみではなく、昨年度すでに予告済みの「死」に焦点を当て、とりわけ1999年から2年間おこなわれた死刑論講義を、それ以前の著作との関連で考察した。デリダの死刑論は、「後期」と分類される時期における政治参加の例として語られることが多いが、デリダ理解としては哲学的人間学を脱構築する試みとして位置づけるのが妥当だと思われる。哲学的伝統に連綿と現れる供犠の思想、(人間の)死の止揚の思想に対する批判こそが、デリダの死刑論の骨格をなしている。筆者の当初の予想を超える形でこの点が確認されたのは、本研究にとってきわめて有意義であった。すでに述べたように、その一部は、論集に収められ、刊行される予定である。 また、今年度は、デリダの詳細な伝記を著したブノワ・ペータース氏と、来日の際に意見交換ができた(2017年10月25日)。さらに、フランス国立図書館での文献調査とは別に、現代出版記憶研究所(IMEC、フランス、カーン市)にて念願の草稿閲覧が叶い、「生‐死」と題された1975年度講義の原稿(一部)を読むことができた。滞在期間にわたりIMEC文学部門責任者のアルベール・ディシー氏と濃密な意見交換ができたことも特筆したい(2018年3月5日‐3月10日)。これらから得た豊かな示唆や材料は、今後の研究進捗に大いに貢献するものと思われる。 以上の理由から、おおむね順調な進捗状況だと考える。
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Strategy for Future Research Activity |
昨年度に表明した方策では「死」、「死刑」と同時に「子ども」、「親子関係」を取り上げることになっており、前者を優先して研究を進めた。 今年度は、「死」、「死刑」をめぐる考察を継続するとともに、「子ども」、「親子関係」により直接的なかたちで焦点を当てることにする。とりわけ、一方では「多産性(繁殖性)」を重要なキーワードとし、「父性」、「父‐息子」、「子どもを産む」をめぐって独創的な思想を展開するレヴィナス、他方では「息子は父に戻ってこない=帰属しない」と主張するデリダの相違に何が賭けられているのかを考察しなければならない。特に、人間が他の存在者には還元できぬとし、存在論的な圏域から人間を引き離そうとするレヴィナスが、生物学的もしくは生理学的に思われる語彙(多産性、繁殖性)で語ることに違和感を覚える。存在論を退けて倫理を主張するレヴィナス自身における、その点の論理ないし整合性を確認しなければならないだろう。 デリダで議論の出発点として想定しているのは、すでにあげた「息子は父に……」という否定文である。ただ、それ以外でデリダが息子や親子関係にどのていど言及しているかは、より丁寧に調べなければならない。また、『弔鐘』(1974年)で語られるヘーゲル的家族、ひいては『絵はがき』(1980年)などで言及されるフロイトの家族論を論じるためには相当の準備が必要である。それについては、全体の進捗状況を見ながらどこまで扱うかを検討したい。 今年度は、夏季休業を利用してフランスに出張し、引き続き現代出版記憶研究所(IMEC)にて草稿研究の継続する予定である。
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Causes of Carryover |
(理由)次年度使用額が生じた理由は主に2つ存在する。1)物品のうち、図書は、他研究機関など国内に存在するものについては、経費節減のため極力図書館を通じて借り出し、閲覧した。結果的にはかなりの資料をこの方法で見ることができたが、他研究機関の図書が貸し出し可能かどうかは、手続きをしないとわからないことが多い。その点、昨年度はかなり恵まれていたと言える。また、パソコンの購入に当たっても、当初予定していた製品よりもかなり価格を抑えたものを購入した。次年度使用額の約半分は、この理由によって生じた。2)資料調査を目的とした海外出張が、用務先の都合との関係で希望していた機関よりも若干短くなり、かつ航空券が安い季節に行われた。そのために10万円以上の違いが生じた。 (使用計画)本年度は最終年度でもあり、出張は夏季休業を利用して行う予定である。期間も十分に取ることにしており、出張経費が昨年度の実績を上まわることは確実と見られる。また、資料や図書も年度前半より積極的に収集する必要があるため、周到に調査を行い、遺漏のないように研究資料を集めていく所存である。パソコン周辺機器など、事務機器の更新などにも一部経費を割く必要がある。 以上のような仕方で、研究費を有効に活用していくよう充分に留意しながら研究を続けることにする。
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Research Products
(2 results)