2015 Fiscal Year Research-status Report
共同行為の虚構論的および演技論的分析 ―義務の発生の問題に即して―
Project/Area Number |
15K01993
|
Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
田村 均 名古屋大学, 文学研究科, 教授 (40188438)
|
Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
|
Keywords | 共同行為 / 自然法 / キリスト教 / ジョン・ロック / デイヴィド・ヒューム / 感情 / 義務 / 道徳 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、共同行為の産出される過程を分析し、共同行為の説明を演技論的ないしごっこ遊び的な説明枠組みによって与えることを通じて、義務の発生の問題を考察しようとするものである。この問題設定の根底には、権力に演技的に服従する心的機制が義務の心理の根底にある、という見通しが存在している。 2015年度は、当初の研究実施計画においてマーガレット・ギルバートとマイケル・ブラットマンの比較対照を行なうことを計画したが、特にはブラットマンの論文 Shared Intention (1993)で取り上げられたヒュームの合意(convention)論を、現代共同行為論の背景をなす基本的な洞察と見て、歴史的な文脈において共同行為論を検討することを試みた。その研究成果は、2015年度末(2016年3月28日、29日)に学習院大学で行なわれた第40回日本イギリス哲学会におけるシンポジウムにおいて「ヒュームは何を破壊したのか?」という表題の下で報告された。 同報告は、第1部で、西洋思想において人間の共同性・社会性を規定する根本的な基盤である自然法(natural law)思想を概観し、第2部で、キリスト教的自然法思想に立脚するジョン・ロックを検討し、第3部で、自然法思想の批判者としてのデイヴィド・ヒュームの主張を検討するものであった。この報告は、西洋近代哲学の文脈においては、個人の道徳的行為が神との共同行為という性格を帯びている、という洞察を背景に持つ。ヒュームは、神を必要としない道徳理論を提出したことにおいて、人間相互の共同行為から義務の拘束が発生する機構の説明を、その間接情念の理論において原型的な形で提出した、と解釈されうる。だが『自然宗教に関する対話』末尾を見ると、ヒュームにおいても神が要請されていると解釈する余地があるため、問題は残っていることが本報告において確認された。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は、共同行為の成立機序の説明を通じて義務の発生を理解しようとするものである。現代の共同行為論の背後には、アリストテレス以来の人間の社会性の考察、とりわけローマ法の再発見以後の西洋中世におけるキリスト教的自然法論ないし自然法的義務論の伝統があることは明らかである。神に言及せずに普遍性ないし共同性に達しようとする現代の共同行為論は、キリスト教的自然法論を背景とするとき、はじめてその議論の歴史的文脈が明らかになる。その意味で、キリスト教的自然法論がヒュームにおいて否定され、人間相互の共感から道徳感覚が成立すると主張されるにいたる歴史的推移を詳細に検討することは、現代の共同行為論ならびに義務論を理解する上で、不可欠であると言える。2015年度は、この基礎作業を徹底して行なった。この意味で、研究上の順調な進展があったと考える。 また、本研究においては、演技的行為・ごっこ遊び的行為を分析道具として用いて、義務の発生の心的機制を権力に対する演技的服従という視点から捉える予定であるが、そのための基礎作業として、ごっこ遊び(games of make-believe)と演技的行為(pretense)にかかわる基礎的研究、Kendall Walton, Mimesis as Make-Believe の翻訳作業を進めてきた。この翻訳が近日中(2016年5月中旬)に書籍として刊行できる運びとなった。 以上の通り、共同行為論の歴史的検討が顕著に進展し、かつ、演技的行為ないしごっこ遊びという方法論を適用するための基礎作業に実質的な展開が見られたことから、おおむね順調に進展していると判断される。
|
Strategy for Future Research Activity |
2016年度(平成28年度)以降は、共同行為からの離脱を禁ずる拘束力がどのようにして生じてくるのかを考察する。この拘束力は、道徳的義務の原型という意味合いを持つ。まず行為計画への賛同が成立し、次いで計画実現のための合理的手順が受容され、さらに各個人が割り当てられた行為を適切に遂行すると考えたとき、それぞれの段階でどのような共同理解が成立し、そこからどのような拘束性が発生するのか、といった問題を多面的に検討する必要がある。 この検討は、Kendall Walton の Mimesis as Make-Believe の着想を取り入れることによって行なわれる。子どもたちのごっこ遊びにおいては、当初の賛同が形成され、遊びの規則の形で行為の合理性の基準が設定され、子どもたちはそれぞれがその規則にかなった振る舞いを適宜遂行する。Waltonはごっこ遊びの構造を芸術の理論に適用するが、芸術作品の場合は、作品の表象性の自然な解釈規則が制作者の意図と技術を仲立ちにして我々に提示され、その自然な解釈規則の下で、我々はその作品を使ったごっこ遊び(作品の解釈、論評、模倣、その他諸々の活動)を自由に遂行する。ごっこ遊びや芸術作品それ自体が、複数の人間に対して行為のシナリオを提示するという役割を果たしている。それは言わば大枠の提示であり、その大枠の範囲で、個々の子どもや作品鑑賞者は、自発的に自分の身体・精神を働かせる。この大枠の提示と自発性の発揮との関係性の中に、義務の拘束力の発生機序を探り当てることが、今後の研究の推進方策となる。
|