2016 Fiscal Year Research-status Report
ホロコースト後の精神分析運動史―ディアスポラとユダヤ的なものの運命
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15K02079
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
立木 康介 京都大学, 人文科学研究所, 准教授 (70314250)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | タルムード / トーラー / 解釈術 / ユダヤ系雑誌 / 人種的対立 / 政治イデオロギー / フランス共産党 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、従来、精神分析の「創始者」たるフロイト個人(および、フロイト個人の圧倒的な影響力のもとにあった草創期の精神分析)についてしか論じられてこなかった精神分析の「ユダヤ性」という問いを、フロイト以後の精神分析にまで拡張しつつ、それが精神分析の社会的・文化的浸透といかなる関係にあるのかを、明らかにすることである。 それに向けて、本研究は、(1)既刊の文献・資料を総括する、(2)ホロコースト以後(第二次世界大戦以後)の精神分析史にかかわる活字化されていない資料(未公刊のオーラル・ヒストリーや草稿類)を、精神分析家組織の分裂・離散の最も顕著な舞台となった米国およびフランスを中心に、包括的かつ系統的に調査、収集する、および、(3)上記(1)および(2)から得られたデータをもとに、本研究の目的に沿った精神分析史の再構成を行う、という三つの柱からなる。 平成28年度は、前年度に引き続き、主に上記(1)および(2)について、これまでに収集した文献・資料の読解を進める一方、9月および2月に、新たな調査地であるパリ精神分析協会のジークムント・フロイト図書館に赴き、本研究に関わる資料を集中的に収集した。同図書館は、精神分析関連の資料についてフランス最大のコレクションを誇り、充実した電子カタログを提供しているものの、資料の電子データ化はさほど進んでおらず、参照したい資料には現地で当たることが欠かせない。今回の調査では、フランスのユダヤ系雑誌にユダヤ人精神分析家たちが寄せた一群の論文が発見された。このようにカテゴライズできる資料コーパスは、これまで本研究の完全な盲点になっていたため、この発見の意義はきわめて大きい。 他方、増える一方の大学の業務に押され、3月に予定していたアメリカ出張(議会図書館、コロンビア大学図書館オーラル・ヒストリー部門)を延期せざるをえなかったことが悔やまれる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
上記「概要」欄に記された本研究の三つの柱のうち、1については、A/ 精神分析とユダヤ的なものの関係をフロイトについて論じた研究、B/ この関係についてのジャック・ラカンの発言と、それらの発言についてのラカン派分析家たちの解釈、という二つの群から成るコーパスが、すでに27年度中にほぼ画定されていた。しかし、28年度にパリ精神分析協会の「ジークムント・フロイト図書館」で発見された、フランス(語)のユダヤ系雑誌にユダヤ人精神分析家たちが寄せた一連の論考群(「概要」欄参照)は、このコーパスを補完するとともに、必ずしもA・Bどちらのカテゴリーにも属さない文献にも重要なものが少なくないことを教えてくれた。とりわけ、これらの文献を読み進めながら、報告者は精神分析とタルムードの近親性をあらためて認識し直すことを余儀なくされた。 実際、無意識を「読解」するフロイトの発想と方法は、トーラーの一語一句の「意味の揺れ」を徹底的に解釈し尽くそうとするタルムードの伝統と明らかに反響し合う。この印象はもちろん偶然ではない。フロイトがユングと交流を持つようになった当初、ユダヤ人医師カール・アーブラハムが、ユングにたいするフロイトの寛容に不平をこぼしたのにたいし、「私の見解を採用することは、貴方にとってのほうがユングによってよりも容易であることを忘れてはいけない。なぜなら〔…〕人種的な近親性のゆえに、貴方のほうが私の知的体質に近づきやすいからだ」と諫めたフロイトのことばは、まさに、精神分析とタルムードを繋ぐこの知的近親性の水準において捉えられなくてはならないだろう。 こうして、28年度には、当初の予定を若干逸れて、タルムード的解釈の実例、とりわけ夢解釈の実例とセクシュアリティにかかわるそれを収集する作業へと導かれた。研究計画の遂行という意味では道草である観は否めないが、研究水準の向上のためには不可欠の道草である。
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Strategy for Future Research Activity |
28年度には、もう一点、3月に予定していたアメリカ出張の取りやめという計画変更を余儀なくされた。この出張の目的は、コロンビア大学オーラル・ヒストリー部門に所蔵される1960年代から70年代にかけての精神分析家オーラル・ヒストリー・コレクションの調査と収集を、27年度に引き続き進めることだった。これは29年度に確実に行わねばならない。しかし、やはり29年度中に予定しているパリへの出張と併せて、「概要」欄記載の(2)の作業は、29年度内に確実に完了できる見込みである。 他方、28年度にいささか「道草」(「進捗状況」欄参照)を食ったとはいえ、「概要」欄記載の(1)についてはすでに目処がついている。とすれば、残るは(3)の作業を着実に進め、成果に繋げることである。この(3)については、28年度の研究を通じて、フランス精神分析の「第一分裂」(1953年)を引き起こしたパリ精神分析協会(SPP)内の権力闘争が、じつは政治イデオロギー的対立と並んで、人種的葛藤をも背景にしていた事実がほぼ裏づけられた。すなわち、分裂に際してSPPに残留したグループの若手(S・ルボヴィシ、のちに哲学者L・アルチュセールの治療者になるR・ディアトキンら)は概ね共産党員もしくは共産党シンパであると同時に、ユダヤ人でもあったのである。このことは、その後のフランス精神分析にいかなる歴史的および理論的帰結をもたらしたのだろうか。これは決定的に重要な問いであるように思われる。これにたいして、アメリカで収集された資料の読解は、件の「道草」の影響で、若干遅れ気味である。その遅れを29年度中に取り戻さなくてはならない。 このように「ディアスポラの歴史としての精神分析史」の再構成を試みた成果は、複数の論文や著作として発表される見込みである。29年度中に準備の整ったものから順次公表をはじめ、計画終了後の30年度にも公表を続けたい。
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Causes of Carryover |
大学の通常業務が多く、平成29年3月に予定していたアメリカ出張(議会図書館、コロンビア大学図書館オーラル・ヒストリー部門)を延期せざるをえなかったこと。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
延期した上記の出張を、平成29年度内に確実に行う。
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Research Products
(3 results)