2015 Fiscal Year Research-status Report
『百科全書』にみる科学の歴史と進歩の哲学:そのイデオロギーと読者戦略
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15K02085
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Research Institution | Aoyama Gakuin University |
Principal Investigator |
井田 尚 青山学院大学, 文学部, 教授 (10339517)
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Project Period (FY) |
2015-10-21 – 2019-03-31
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Keywords | 百科全書 / 科学史 / 進歩 / 新旧論争 / 比喩 / 科学啓蒙書 / フォントネル / 生命科学 |
Outline of Annual Research Achievements |
申請者は現在、フランス啓蒙主義を象徴する『百科全書』(1751-1772)の科学項目に記述される科学の「歴史」における「進歩」の観念の役割、および両者間の時間性の齟齬に注目し、近代科学史で常識とされてきた進歩史観の淵源を問い直す作業に取り組んでいる。『百科全書』の科学項目に見られる諸科学の歴史と進歩の観念の関係は多岐にわたるため、1年目は、「(A)新旧論争と科学的進歩のイデオロギー」に関する分析を行った。 そこで、近代派を代表して進歩の観念を支持して新旧論争に決着をつけ、啓蒙思想の先駆となったフォントネルの代表的な著作である天文学の啓蒙書『世界の複数性に関する対話』を出発点に、同書に横溢する比喩・メタファーを、一般読者の理解の助けとして文学的修辞を必要とする科学啓蒙書に留まらず、仮説・見解としての科学理論そのものに潜在し得る発想上の問題として分析した。 ヴォルテールは、哲学的コント『ミクロメガス』でフォントネルの『世界の複数性の対話』の比喩に満ちた文体とフォントネルその人を諷刺した。当時の最新科学理論であるニュートンの万有引力説の支持者ヴォルテールがデカルトの渦動説を支持するフォントネルに向けた揶揄は単なる文学的諷刺の域に留まらず、科学知識の普及を使命とする科学啓蒙書における科学知識の正確さと娯楽性のバランスの難しさを教えてくれる。さらに科学理論・科学概念の発想と言語表現の両面における比喩的性格へと考察を進めることで、十七・十八世紀に生命科学の学派として派を競い合った機械論、アニミスム、医化学派の発酵理論、モンペリエ学派の生気論など、実に多くの学派による生命原理の定義がアナロジーに基づく比喩的な発想に基づいていること、証明が困難な生命原理の理論モデル化がアナロジーの誘惑に陥りがちであり、その点に科学と文学的想像力との意外な接点が見られることが明らかになった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
1年目の研究目的は、「(A)新旧論争と科学的進歩のイデオロギー」の分析を行うことであった。研究初年度の2015年度は、給付の追加決定が年度後期に及んだ事情があったが、当初の計画通り、新旧論争において科学的進歩のイデオロギーを担い、創成期のパリ王立科学アカデミーの終身書記を務めた十八世紀の科学界の重鎮にして啓蒙思想の先駆者とされるフォントネルの代表的な科学啓蒙書『世界の複数性の対話』の分析に当たった。同書で紹介されるデカルトの渦動説やコペルニクスの地動説に象徴される科学的進歩のイデオロギーのみならず、フォントネルが同書で文章表現に多用した比喩・メタファーに着目し、比喩という表現技法がアマチュアに科学知識を説明するのに欠かせない修辞に留まらず、同時代の科学理論、殊に原理的な証明が当時においても現代においても困難な生命原理をめぐる数多くの科学理論・科学的言説にかなり共通して見られる発想上の問題および、科学書といえども読者の存在を前提とする科学知識の伝達に伴うコミュニケーション上の問題でもあった可能性の一端を、機械論、生気論、アニミズムなど、当時の代表的な生命科学理論の具体的なテキスト表現の分析を元に論証することができた。このことは、一般読者を対象とした科学啓蒙という視点に立った場合、フォントネルが近代派として支持し、啓蒙思想家達によって継承された進歩の観念が、決して抽象的な哲学的・科学的概念の問題に留まらず、読者の説得を最終的な目的とするイデオロギー的言説に不可欠な表現技法としてのレトリックの問題をも伴っていることを示しており、「『百科全書』の科学の歴史と進歩の哲学:そのイデオロギーと読者戦略」という本研究の主題の方向性に適った成果と言える。
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Strategy for Future Research Activity |
当初の研究計画通り、2年目は、(B)『百科全書』と科学の歴史化(「完成」から「進歩」へ)、3年目は、(C)『百科全書』の科学項目における学説史と進歩史観の分析、および(D)『百科全書』の科学の歴史と読者の教育の分析、4年目は、(A)から(D)の成果を踏まえ、『百科全書』の科学項目に見られる諸科学の歴史を啓蒙主義の進歩の哲学を反映した党派的・イデオロギー的な歴史叙述として捉え直すとともに、進歩を唱えた『百科全書』の科学項目の言説の構造を、一般読者の勧誘を意図した言語行為論的な発話の視点から解明したい。 特に2年目の平成28年度は、(B)『百科全書』と科学の歴史化(「完成」から「進歩」へ)に関する資料の収集と分析に当たりたい。科学の歴史化に画期的な貢献を果たした博物学者ビュフォンの全集は既に入手済みであり、新旧論争において進歩派の代表者として近代的進歩の観念を唱えたフォントネルの主な個人著作も入手済みである。百科全書派で進歩の哲学を支持したダランベールの著作も着々と入手しつつあるが、近代版が存在しない一部の執筆者の著作については、フランス本国の図書館での調査やマイクロフィッシュの入手が必要である。そこで、フランス・パリのB.N.、パリ高等師範学校(E.N.S.)図書館およびアルスナル図書館での短期での資料収集および文献・マイクロフィッシュ資料の入手を計画している。2年目は、以上の資料収集以外、主に『百科全書』の科学項目とダランベールの個人著作の読み込みとデータ作成に引き続き集中したい。
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Causes of Carryover |
本研究課題の追加採択が年度後期に決定したため、当初計画で夏期に予定していたフランスでの資料収集のための海外渡航費が発生しなかったため、ダランベール、フォントネルら進歩のイデオロギーを支持した啓蒙期の思想家の著作など一次資料、二次資料および研究に必要な電子機器の購入など物品費に多くを充てたが、年度内に必要な資料および機器の環境が整ったので、残額を次年度使用額として残した。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
次年度使用額を次年度請求額のうち、物品費に加算する形で、特に研究計画の「(B)『百科全書』と科学の歴史化(「完成」から「進歩」へ)」に関連する一次資料・二次資料の購入に充てる予定である。
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