2015 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
15K02086
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Research Institution | Teikyo University |
Principal Investigator |
冲永 荘八 帝京大学, 文学部, 教授 (80269422)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | 創発 / 下方因果 / 機械論 / 目的論 / 主観性 / 原因 / 粒子 / 限定 |
Outline of Annual Research Achievements |
27年度は、本研究課題の中心テーマである創発を手始めに概括的に取り扱った。まず27年の6月には、比較思想学会のパネル「思想としての生命」の2年目として「生命概念の再検討 生きているとはどのようなことか」を企画した。この中で研究代表者は、「創発と生命概念」というタイトルの発表を行い、物質の機械論的、無目的な性質と、生命の目的論的な活動との狭間に創発が位置し、それが生物学上の問題であるばかりでなく、ある性質からそこにはない別の性質が生じてくる事態を、哲学上の問題として考察した。これに関して、機械論的な還元主義と、文字通り創発を認める立場、さらに機械論自体をすでに限定を受けたものと見なす立場を吟味した。 研究代表者の27年度の研究課題のひとつに、粒子的単位の運動の合成である「上方因果」には含まれない「下方因果」を認めるか否かを、創発の議論がどう扱ったかの吟味があった。この3番目の立場からだと、「上方因果」の考えがすでに、粒子的単位を実在とする前提を持つことになる。さらに物質からの意識の生成、客観性から主観性の生成など、粒子的単位の実在化によっては解決し難い問題がこの立場で解消されることを確認した。 また、原因を追究するとさらにその原因が問われるという、科学に特徴的な存在論に対して、あるものをあるがままに肯定する存在論の意義と可能性を問題にした。「上方因果」も、最小の粒子という原因への実在性に集中によって生じる。原因をたどることは、原因に実在性を集中させる世界観だが、この集中を行うとかえってその原因は限定され得ない何かになり、これはむしろ始原への還元を疑問視させるものであった。 これらの研究結果は、「創発と生命概念」『比較思想研究』23号2016、「人間原理と資源への問い」『帝京大学総合教育センター論集』7号2016などに掲載された。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
27年度の研究計画にあった、「下方因果」の問題については、パネル「創発と生命概念」の中で論じ、論文としても公刊ができた。この中では、いかに機械論的因果性とは異なった世界把握が可能かという点に議論が収束した。生物の目的的行動、意識の性質、一人称的世界すべてがそこにつながっていた。その意味で、因果の上方因果への限定は、これらの世界観を排除した枠組みの中で始めて成立した。 しかし、機械的世界観を前提とした上で、かつ下方因果を認めようとする議論はいくつか存在する。研究計画書で触れたPhilip Claytonなどは、それに関して、システム自体の持つ因果性について論じているが、これについて深く触れることはできなかった。しかしこれは自己組織化など、単位粒子の運動には還元できない問題にもつながっていくので、課題として重要なところがある。自己組織化論は、単位粒子の「存在」を前提とした上で、「法則」を創発する立場と考えられる。しかしそこで、単位粒子の機械論的運動は前提なのか、それともこの運動自体が限定されたものと見るのか、注意が必要である。 また、粒子の機械的運動を位置づける考える上で、研究計画書では触れなかったことだが、「尊小主義」の成立経緯とその妥当性についても考えることも課題となる。 自己組織化や目的性、下方因果についてはポランニが創発と見なしたものであったが、これを世界のうちにどのように位置づけるかについては、2016年3月APA, Central Division Meetingの中で催された、Advancement of the American Philosophyのセッションにおいて、 “Metaphysical Contradiction and the Plurality of the Universe”として、ジェイムズやベルクソンとの対比の中で論じた。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究では、下方因果を認める立場を、機械的因果が一種の実在の限定である、という見地から吟味しようと計画している。これはある意味、論理学的、形而上学的な見地である。しかし、論理学的立場以外で、機械的因果をすでに限定されたものと見る立場もある。それが量子論的なレベルでの自由さの視点から、原子レベルの機械論的決定性を見直そうとする立場である。 原子レベルの基本粒子の機械論的因果性が前提だと、システム自体の創発を唱えたとしても、基本単位の力の合成という考えに捉われると、それが本当に可能なのか疑わしい点が残る。これに対して機械的因果がすでにより下位の現象の合成にすぎないと考えることは、機械論的世界の前提への再考という意味で、哲学的にも重要性がある。そして研究計画書でも触れたHenry P. Stappの「量子ゼノン効果」は、機械的因果性の相対化のみならず、量子レベルにおいて物質的、心的という区別を取り払っている点でも、注目に値する。28年度の研究にはこれを含める予定である。 決定と自由の対立、物質と精神の対立は、一般に異なった議論に属するが、これらの対立はともに、無限定からの限定ということで包括される。無限定を論理的に示すことは、西田の場所の思想などでも見られるが、それを、限定をひとつひとつ具体的に取り払っていくことがStappの特徴である。 無限定についての考察の意義は、始原の問題にある。限定されたものがいきなり登場すると、そのさらなる原因が問われてしまう。この謎を解消するには、限定する形式が生じた経緯をさぐることがひとつの方法となる。始原を問う形式がなければ、その問いが無意味になり、始原の謎も生じない。場所の起源が無意味なのも、一定の形式の中でしか起源は問われ得ないからである。
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Research Products
(7 results)