2016 Fiscal Year Research-status Report
水戸藩と九州諸藩を中心とした近世前期の史書・記録類編纂と情報流通の研究
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15K02266
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Research Institution | Nihon University |
Principal Investigator |
倉員 正江 (長谷川正江) 日本大学, 生物資源科学部, 教授 (70307817)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 豊臣秀吉 / 文禄・慶長の役 / 壬辰戦争 / 和漢三才図会 / 九州記 / 朝鮮太平記 / 朝鮮年代記 |
Outline of Annual Research Achievements |
研究代表者は以前柳河藩内二尊寺の住職春龍が執筆した軍記『九州記』(元禄13年(1700)刊)が、絶版に至る過程を拙稿にて考察した。その際、『九州記』に初代柳河藩主立花宗茂がほとんど登場しない点、また全体に鍋島藩側に偏向した記述になっている点に注目し、春龍が鍋島藩士による写本記録を参照したことに起因することを、既に拙稿にて発表している。 以上の研究成果を踏まえ、平成28年度は文禄・慶長の役に関する記録類の研究成果を三本の論文にまとめて発表した。まず日本軍が大勝したことで著名な文禄の役「碧蹄館の戦い」の記述における立花宗茂と小早川隆景の役割と活躍に関し、諸記録間で齟齬と矛盾が見られることに注目した。『中古日本治乱記』『毛利秀元記』『翁物語』二種等の写本の比較から、現行版本『太閤記』の記述も、宗茂の活躍を強調する改変がなされた可能性を示唆した。 続いて絵入百科事典として著名な『和漢三才図会』(正徳三年(1713)序刊)巻13「秀吉公征朝鮮」記事の典拠が、前掲『九州記』であることを解明した。また島津義弘を「鬼島津」、加藤清正を「鬼将軍」とする人口に膾炙した呼称は、朝鮮人や中国人ではなく日本人の創作による可能性が高い点、本書により後代から現代に至るまで流布したと見られる点を指摘した。従来『和漢三才図会』は主として本草学の面から言及されるが、こうした通俗史観の形成にも少なからず影響を与えたことを考察した。 研究代表者は2014年11月開催「Korea in East Asian Culture」(於韓国延世大学校)フォーラムにて「1763年刊『朝鮮年代記』に見る朝鮮像」と題して発表した。これを元に、中本『朝鮮年代記』が、通俗軍書『朝鮮太平記』のダイジェスト版であり、李舜臣の活躍を江戸期の日本人に印象付けたと予想されることを拙稿にて指摘した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
この数年、研究代表者は版本・写本の朝鮮軍記類、またその内容を含む記録類を探究してきた。当然ながら豊臣秀吉の朝鮮出兵の研究は、歴史分野でも日・中・韓それぞれに進展している。それでもこの東アジアを巻き込んだ国際戦争が、史実を超えて日本人の間で―もちろん中国人・朝鮮‐韓国人にとっても―どう語り継がれてきたのかを考察することは、日本人の精神風土を見直す上で、非常に有意義であるとの結論に至った。秀吉個人の野望・無謀を批判し、国家興廃の惨状―日本においても同様である―を語り継ぐ、というだけでは、日・中・韓いずれにおいても不十分であると言える。 確かに『中古日本治乱記』等、拙稿にて引用した資料の多くは、何らかの偏向・誤解が少なくない。よって科学的かつ実証的歴史研究の立場からすれば、“史料”としては“無意味”という評価になろう。その意味で看過されている書は少なくないはずである。 ただその偏向や誤解・誇張がなぜ起こり、なぜ増幅されていったのか、写本と版本の影響関係を考察することで、浮上した点を見直すことは、決して無意味ではない。『和漢三才図会』も、単に中国本草学の摸倣ではなく、江戸期における日本人的知識基盤形成の源流としての視点から、再検討する必要があるとの思いを強くした。 以上は朝鮮出兵記事に限ったことではない。江戸期に出来した、真の意味で読み解くべき資料は、写本・版本を問わず、いまだ数多く遺されている。
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Strategy for Future Research Activity |
拙稿で『翁物語』に見える立花宗茂と小早川秀秋の確執―事実未詳―に言及したところ、秀秋と「関ケ原合戦」について執筆依頼を受けた。そこで秀秋が登場する軍書・記録類を検討した結果、大河内秀元著『朝鮮記(「朝鮮物語」)』を考察する必要を実感した。本書は太田飛騨守一吉の家臣として慶長の役に従軍した秀元による、一種の日記文学である。秀元は帰国後の一時期、備前・美作を領した秀秋に仕えている。秀元が生前に執筆した写本が増補され写本にて流布、幕末の嘉永二年(1849)に至って、儒者藤森弘庵の序を付して刊行された。当時弘庵は外圧に対する海防の重要性を講義・提言しており、実際にペリーの来航が起きている。そうした出版の背景を考察する。 また従来言及されることのない秀元の著作であるが、写本『光禄物語』《自身の伝記》『足立物語』《兄弟の伝記》等、自身と家族の記録を複数遺し、戦国時代末期から江戸初期に生きた武士・浪人の生活をリアルに伝える伝記文学となっている。また写本『糟粕手鏡』の原本が京都大学に現存し、画像公開されている。これは秀元と子息の秀連が収集して奉納した『手鏡』(書簡・署名筆跡類のコレクション)であるが、余白に戦国武将や大名らの逸話が書き込まれ、秀秋についても興味深い記述がある。また『朝鮮記』の理解を助ける内容も少なくない。平成29年度は、この『手鏡』の考察も始めたい。
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Research Products
(3 results)