2017 Fiscal Year Annual Research Report
Representation of China`:Its Acceptance,Formation,and Development in Early 20th Century Japan
Project/Area Number |
15K02275
|
Research Institution | Keisen University |
Principal Investigator |
篠崎 美生子 恵泉女学園大学, 人文学部, 教授 (40386793)
|
Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
田中 靖彦 恵泉女学園大学, 人間社会学部, 准教授 (40449111)
庄司 達也 横浜市立大学, 国際総合科学部(八景キャンパス), 教授 (60275998)
|
Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
|
Keywords | 日本文学 / 近代 / 中国 / 戯劇 / 教育 / メディア |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究では、20世紀前半、とくに1910~1920年ごろを中心とした日中間の人的交流を、文学、教育、メディア等の面から検証することができた。当時は、日本の侵略に伴い、五・四運動に象徴される抗日運動がめだち始めた時期として知られるが、それは見方を変えれば、それまでになく日中の市民が接触を持ち、交流を深めた時期であったと考えることも可能である。その実態を、複数の観点から確認した。 まずは日本の知識人がどのように「中国」を認識したのかを知るモデルとして、1910年代の東京帝国大学における「芥川龍之介聴講ノート『支那戯曲講義 塩谷温助教授』」を翻刻し、内容を調査した結果、1911年に上海で刊行されたばかりの『陳眉公批西廂記』という書物が数年以内に帝国大学のテキストとして使用されていた可能性が高いことがわかった。一方で、東北帝国大学、東亜同文書院などで教育された「中国」言説の調査を行った結果、当時の帝国大学では、一方で異国情緒あふれる理想の「中国」像が古典を通じて伝えられたとともに、一方では政治的に無力な「中国」像と日本による支配の必然性が強調されていたことが明らかになった。 なお、中国の“戯劇”を一種のメディアとしてとらえたことも、我々の研究の大きな成果である。“戯劇”が中国の政治的な言説と密接にリンクしていた当時の実態を、ポンチ絵などを手掛かりに解明したばかりでなく、女形梅蘭芳の来日公演(1919,1924)が、日華関係の改善のために企画されたにも拘わらず、男性性の優位を重んじる言説の中で、むしろ日本市民の植民地主義的な欲望を満足させる結果に陥った経緯もとらえ得た。 さらには、20世紀前半の台湾において、中国とは異なるどのような文化的「交流」があったかを、今後の課題として見出すこともできた。
|