2016 Fiscal Year Research-status Report
Studies on the symbolic structure of the later dance plays of William Butler Yeats
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15K02334
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Research Institution | Tokyo University of Agriculture and Technology |
Principal Investigator |
佐藤 容子 東京農工大学, 工学(系)研究科(研究院), 教授 (30162499)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | アイルランド演劇 / 能 / 狂言 / 笑い / 奇跡 |
Outline of Annual Research Achievements |
平成28年度には、イェイツ後期の劇作『復活』(1934)を日本の「能狂言」との関わりから探究した。イェイツの『復活』は、当初「舞踏劇」として構想されたが、最終的には生身の踊り手は登場せず、舞踏は登場人物が描写することによって創造される。『復活』では、楽師たちの歌による象徴的な枠組みを残しつつも、全体として能をモデルとした演劇形式が緩やかになり、むしろ狂言の形式に近づいていることを論じた。 具体的には、宝生流の『復活のキリスト』(吉田魯洋作詞、宝生九郎作曲、1957)、喜多流の『復活』(土岐善麿作詞、喜多実作曲、1961)、さらに狂言の『復活』(九世三宅藤九郎自作自演、1962)との類似点また相違点を分析し、イェイツの『復活』の独特の舞台表象を明らかにした。能仕立ての『復活』の場合には、シテまたは後シテによる平安を祈る聖なる舞が華となって舞台を締めくくる。三宅藤九郎の和泉流新作狂言『復活』では、筋立ては新作能と類似しつつも、そこはかとないユーモアが漂う場面となっている。一方、新作狂言『十字架』では、十字架の出現と魚たちの舞い踊りの奇跡は、市井の人海六の語りのみによって表出されている。これに対して、イェイツの『復活』では、奇跡の瞬間を、能におけるシテの変身という方法ではなく、むしろ狂言の作法にも似て、観察し驚愕するギリシャ人の語りや、笑い出すシリア人の語りそのものの中に浮かび上がらせているのが特色である。 イェイツの『復活』においては、「笑い」が奇跡の現出に変容していく。ヘブライ人、ギリシャ人、シリア人の霊と肉に関する見方の違いが、「笑い」をめぐって次第に明らかになり、ディオニソスの神話とキリストの物語がダイナミックな連続性をもって舞台に表象されていく。それは、イェイツがキリストの復活の装いの中に、霊であり肉である「ダイモーン」の出現を同時に劇化するためであったことを示した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
イェイツの『復活』の分析を通じて、狂言においても重要な「笑い」が、イェイツにとって奇跡の現出と密接な関わりを持っており、彼の他の劇作においても、プラトンが批判する「笑い」、つまり理性の制御を失った状態をむしろ新たな啓示として提示しているとの結論を得た。これは、イェイツの初期の笑劇『緑の兜』にみられるホメロス的笑いを称揚する姿勢や、初期の劇作『キャスリーン伯爵夫人』では実現できなかった場面としてイェイツが後に思い描いた変容と啓示の笑いに通じていくと考えられる。後期の劇作『復活』でのシリア人の「笑い」もまた、これらに連なるものであり、これまでの批評史のなかで十分に論じられてこなかったイェイツにおける「笑い」というテーマを掘り下げていく可能性が開けてきた。 また『復活』が、イェイツに日本刀を贈呈した佐藤醇造に捧げられていることの意味について、霊でもあり肉でもある「ダイモーン」の出現という主題との関連で論じたことは新しい視点であった。佐藤の刀が、イェイツの詩「自我と魂と対話」に言及されていることはよく知られているが、イェイツと妻のジョージが自動筆記などの共同作業を行う際、この刀を魔除けとして儀式のなかに組み入れることがあり、この刀が、ダイモーンの象徴であったことを示唆する記述があるとの指摘がある。とすれば、イェイツの劇作『復活』において、刀を持って舞台上にいるヘブライ人の言動に、これまでの批評史で看過されてきた焦点をあてた意義は大きい。 さらに、平成28年度には、劇作『復活』の他に、イェイツの『自伝』の記述法についても考察を行った。そして「幼年時代と青春期についての夢想」(1914)というイェイツの最初の自伝は、「象徴的な自伝」となっており、「劇作」と「自伝」という異なるジャンルながら、能から学んだ技法が受け継がれている面があることに気づき、研究の新たな展開を得た。
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Strategy for Future Research Activity |
平成29年度には、能の技法も念頭におきながら、イェイツの最初の自伝「幼年時代と青春期についての夢想」における空間や時間を扱う技法について考察を深めたい。この最初の自伝の結びは、彼が能をモデルとして書いた最初の劇作『鷹の井戸』の草稿の結びと酷似しているが、自伝の冒頭もまた『鷹の井戸』との類似がある。イェイツの『自伝』の研究は、イェイツ独特の舞台表象の考察に新たな視点を与えると考えられる。 イェイツは、1913年の冬から1914年にかけて、エズラ・パウンドを通じてアーネスト・フェノロサの能の英訳に接し刺激を受けるが、「幼年時代と青春期についての夢想」は、1914年に書き始められ、その年の終わりに完成をみた。さらに同時期には、イェイツの古くからの友人であるキャサリン・タイナンのほか、イェイツの演劇運動に関わりの深かった重要人物であるグレゴリー夫人やジョージ・ムーアが次々と自伝を著わしており、そのような状況のなかで、イェイツが自らの立ち位置をどのように再考したか、論考にまとめる。 イェイツがパウンドと英国サセックス州のストーン・コテッジで過ごした期間に、当時パウンドの編集になる雑誌『エゴイスト』に、ジェイムズ・ジョイスの自伝的小説『若き芸術家の肖像』が連載されていたことも、イェイツの「幼年時代と青春期の夢想」に影響していると指摘される。だが小説ではなく「自伝」として書くことで、イェイツがどのような叙述法を用いたかを分析する。 これら一連の考察を通じて、イェイツがスピリチュアリズムの研究に深く関わりつつ、父ジョン・バトラー・イェイツの大きな影響から次第に脱して、自己を確立していく道のりが、独立をめざす当時のアイルランドの苦闘と暗示的に重ねあわされていくことも浮き彫りにしたい。またイェイツとスピリチュアリズムの考察には、妻ジョージの影響も重要であり、彼女の伝記についても目配りをする。
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Causes of Carryover |
平成28年度においては、研究発表の場が、国際基督教大学(東京都三鷹市)及び東海大学高輪キャンパス(東京都港区)となり、出張に際して交通費がさほどかからず、またホテルに宿泊することも要しなかった。そのため、旅費の支出が、プロジェクト当初に見積もっていた額を下回ったことによる。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
上記の理由により生じた次年度使用額については、平成29年度における学会参加や資料収集のための出張旅費のさらなる充実にあてる計画である。また、研究の発展に伴い、研究テーマが当初の見込みより広範囲に広がってきたので、関連する図書資料を充実させるための費用にもあてる計画である。
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