2017 Fiscal Year Annual Research Report
John Muir on the Fusion of Science and Literature: A Study of "Travels in Alaska"
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15K02357
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Research Institution | Meiji University |
Principal Investigator |
柴崎 文一 明治大学, 政治経済学部, 専任教授 (90260124)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | ジョン・ミューア / アラスカの旅 / ネイチャーライティング / 科学と文学 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は以下の内容による成果論文を作成した。 ミューアが最初のアラスカ探検に向かうことになった経緯については、1879年の6月9日にヨセミテ渓谷で行われた日曜学校大会で、S. ジャクソンが行ったアラスカに関する講演に接したことが、彼にアラスカへの探検旅行を思い立たせた契機である、とL. ウルフがして以来、これが言わば定説のように見なされてきた。しかし6月9日からアラスカに向け出発するまでの彼の日記や書簡を調べても、アラスカ行きの明確な意思が示されたものは発見できなかった。またサンフランシスコ港を出発してからのミューアの足取りを見ても、当初の彼の目的はアラスカではなく、ワシントン準州のピュージェット・サウンドからブリティッシュ・コロンビアにかけての北西海岸沿いを巡ることだったと推察された。しかし7月9日付の婚約者への手紙から、ポート・タウンセンドでフーパー大佐という人物と出会い 、彼の密輸監視艇でアラスカに行くことを誘われたことからミューアの気持ちが固まり、アラスカ行きが具体化したことが分かった。このようにミューアが初めてアラスカ探検に向かった経緯は、ウルフの説とは異なったものだったのである。 『アラスカの旅』の中でミューアは、ジャクソンが先住民の村からトーテムポールを持ち去ろうとしたことを、「とく聖」にも等しいと強く非難している。そして彼は、他の多くの作品で、自然に対する人間の介入を徹底して排除する「保護」の思想を提唱してきたように、先住民の文化や社会の研究においても、収集などの人為的介入を排し、対象の「科学的記述」と、観察者の「主観的な描写」によって遂行されるべきであることを示している。こうして我々は、自然科学的な対象に関してのみならず、民族学的なテーマに関しても、彼が「文学と科学の融合」を試みようとしていたことを、『アラスカの旅』の中に見出すことができるのである。
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