2016 Fiscal Year Research-status Report
日本近世仏教教団の流動性に関する研究-浄土宗教団を中心にして-
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15K02853
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Research Institution | Kacho Junior College |
Principal Investigator |
伊藤 真昭 華頂短期大学, 歴史学科, 教授 (30632898)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 入寺帳 / 浄土宗 / 増上寺 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度、増上寺入寺帳の3冊目及び7冊目~9冊目の入力が終了し、3冊目の内容を考察した。この冊には享保16年(1731)から同20年迄の5年間に1077人の入寺者の情報が記されている。入寺者の入寺時年齢の平均は15.67才で、出寺年齢の平均は33.32才であった。つまり約18年間弱増上寺で勉学に励んでいたことになる。増上寺の規定では年間の定員は70人と定められていたが、江戸府内にある増上寺は人気が高く、希望者が定員を大きく上回っていた。そのためそれ以外の抜け口が用意されたいた。それは増上寺関係者の弟子としての入寺であった。増上寺で指導に当たっていた月行事などは特別の功績が認められると、彼らの「似我弟子」ということにして入寺が認められた。「似我弟子」とは契約による師弟関係を結んだ弟子のことである。こうした正規の定員以外に、定員の2倍から5倍の入寺者がおり、定員は有名無実化していた。 入寺僧の出身地では、増上寺の所在する武蔵国が最も多く、定員70人のうち毎年10から20人程度を占めていた。それ以外では山城と伊勢が多いのが特徴である。定員外も含めた全体を通してみても武蔵が最も多く、それに次ぐのが山城である。この2ヶ国だけで3割から5割を占める。浄土宗僧侶の供給源がどこにあるのかを示している。 こうして増上寺で勉学に励んだ後、着実に階梯を上げていく者だけでなく、残念ながら途中で病死したり、素行不良のため追放処分になったりして、卒業できない場合も出てくる。大部分は地元に戻るか、出身地とは別の地域の住職となったりするが、優秀な人材は増上寺に残り、宗内の出世街道を歩むことになる。浄土宗の場合、増上寺を頂点とする檀林の住職や知恩院などの紫衣寺院の住職になることが最終到達点であった。この5年間に入寺した1077人のうち檀林の住職になったのはわずか6人で、かなり狭き門であった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
入寺帳の分量が想定していたよりも大幅に多いことと、入力作業に要する適切な人員の確保が困難であったため。
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Strategy for Future Research Activity |
入力作業に従事する人員の確保と、入力内容の厳選を図り、作業内容の縮小も検討する。
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