2017 Fiscal Year Annual Research Report
Comprehensive Research on the Amsterdam Sub-Bureau of the Comintern
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15K02941
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Research Institution | University of Miyazaki |
Principal Investigator |
山内 昭人 宮崎大学, 教育学部, 名誉教授 (00124850)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 西洋現代史 / コミンテルン / アムステルダム・サブビューロー / S.J.リュトヘルス / ボリシェヴィキ化 |
Outline of Annual Research Achievements |
最終年度の前半に、2年間にわたる現地史料調査から持ち帰った関係史料の分析を完了した。10月の2週間で残された史料収集をワシントンD.C.の議会図書館で果たし、その1,000枚以上のコピーの分析に最終年度の後半を充て、平成30年3-4月に研究成果を一挙に以下のようにまとめることができた。 1)コミンテルン本部による全体にわたる外国資金援助の実態を1919年3月から1921年初めまでほぼ把握でき、3つの詳細な一覧表も作成した。本部によって国際的活動拠点として創設がめざされた在外ビューローのうち、アムステルダム・サブビューローへの資金援助決定額は最高であった。けれども、実際の支給額は大幅に削られており、かかる例はどの決定額にも言えることであり、注意を要する。その支給分の大半を占めた宝石類の9割近くがベルリンの西欧書記局によって着服・流用されたと推計でき、活動当初から絶えず資金難がつきまとった。加えて、サブビューローと本部との意見対立が顕著になるや、本部による追加資金提供の道が閉ざされていった。 2)1920年4月末に本部によってサブビューローの解散が決定された際、主たる理由として挙げられたのが議会主義と労働組合問題に関する立場に違反があったことである。むしろ立場を一方的に同年2月初めに変えたのは本部の方であって、サブビューローは当初からの立場を保持し続けていた。しかも両方とも戦術問題であって、各国の事情を考慮しなければならないと当初謳っていたにもかかわらず、最終的には変更された立場が本部からサブビューローに強制されたのである。それはまさしくボリシェヴィキ化の始まりであった。 以上、2点の解明を主とした今回の「総合的研究」と前回の平成11~12年度の科研費による「基礎的研究」を合体させることによって大部の原稿が完成できれば、現時点で最も総合的な研究となる見通しが立った。
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Research Products
(2 results)