2017 Fiscal Year Research-status Report
沖縄における米軍基地跡地開発の文化人類学的研究:読谷村の事例より
Project/Area Number |
15K03061
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
原 知章 早稲田大学, 人間科学学術院, 准教授 (00287947)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | 沖縄 / 読谷村 / 米軍基地 / 跡地利用 / 開発 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、沖縄本島中部地域における米軍基地跡地開発のプロジェクトの歴史的経緯および現段階における成果と課題を詳らかにしつつ、明らかにすることにある。今年度は、読谷村における「読谷補助飛行場」の跡地開発プロジェクトに焦点を当てて調査を行なった。読谷補助飛行場の跡地開発計画は、1980年代から構想されていた。具体的には、跡地の7割を農地とし、残りの3割を公共用地として活用するという計画であった。この計画において、飛行場跡地の農地を活用する主な担い手として位置づけられたのは、飛行場跡地の旧地主によって構成される農業生産法人であった。しかし、研究を通じて、2006年の全面返還後、農業生産法人が本格的な生産活動を開始できるようになるまでには様々な困難があったことが明らかになった。そのひとつとして「黙認耕作」をめぐる問題があった。黙認耕作とは、米軍基地内における農作物の耕作のことである。基地への出入りが比較的自由な場所で、土地を取られた住民が耕作を始めたのが端緒とされる。1972年の施政権返還後は、日米地位協定のもとで、これら基地内の耕作が黙認されてきた。戦前までは畑地が広がっていた読谷補助飛行場内でも、黙認耕作は盛んに行われていた。そして、飛行場内で黙認耕作を行なっていた者の中には旧地主以外の者も多数含まれていた。飛行場の全面返還に備えて、村は、黙認耕作の段階的解消を目指した。しかし、なかには村の跡地利用計画に対する理解を得られなかった耕作者もいた。これらの耕作者に対して、村は2007年に提訴に踏み切った。両者の間に一応の和解が成立したのは2011年のことであった。米軍による地勢良好な土地の接収や戦後の経済的・社会的混乱と苦境がもたらした黙認耕作が、読谷補助飛行場の跡地開発プロジェクトにおける最も大きな困難のひとつとなったことが明らかになった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
4: Progress in research has been delayed.
Reason
当初は、平成29年8月~9月に現地調査を行なう予定であったが、諸般の事情により現地調査を実施することができなかった。
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Strategy for Future Research Activity |
平成30年度には、現地調査の実施期間を十分に確保することによって、進捗状況の遅れを取り戻したいと考えてる。
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Causes of Carryover |
当初は、平成29年8月~9月に現地調査を行なう予定であったが、諸般の事情により現地調査を実施することができなかった。平成30年度には、現地調査を実施したいと考えてる。
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