2017 Fiscal Year Annual Research Report
Making Process Personnel System and Labor Relations in a Japanese Automobile Company after WWII
Project/Area Number |
15K03893
|
Research Institution | Ritsumeikan University |
Principal Investigator |
吉田 誠 立命館大学, 産業社会学部, 教授 (90275016)
|
Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
|
Keywords | 非正規雇用 / 臨時工 / 自動車産業 / 差別待遇 / 本工化 |
Outline of Annual Research Achievements |
1950年の朝鮮特需以降増加した臨時工に対する全日本自動車産業労働組合(以下、全自と略)日産分会の対応を、1952年後半以降展開について明らかにしたうえで、その後の展開を検討した。すでに職場からの要求により臨時工の本工化要求が日産分会においては重要な課題となっており、それ以前に一定の本工化を勝ち取っていた。こうした本工化の獲得は全自本部にも大きな影響を与え、同年の夏の全自の賃金原則でも臨時工が取り上げられた。いわば下からの本工化の要求と、上(上部団体)からの方針が同じ方向を有して展開されたのが1952年秋の闘争であり、全臨時工の本工化が追及された。臨時工自身も蹶起したこともあって、2/3にあたる659名が翌春には本工化された。この後も不適格者の本工化を要求するが、53年日産争議の敗北で潰えた。 日産における本工化闘争は下からの連帯に支えられたものであったが、これを可能にしたのはまずは労働の同質性・同種性にである。また、全員本工化にあたっての労使の争点の一つが銓衡の是非であったことを踏まえると、戦中・戦後の採用者が臨時工と同じように特段の銓衡を経ずに採用されてきたことがある。つまり入職プロセスの同質性が同質・同種の労働を担う両者の間の処遇格差の正当化を妨げたのである。その後、会社は中学校新卒者を対象とした工手学校を設立し、入試による選考を実施する。また臨時工からの選考に基づく「準社員」への登用制度を確立する。いずれも、選考を経ることが本工となるためには不可分となる。これ以降、組合員/臨時工という枠組みは、選考を経て採用された本工/特段の選考によらず採用された臨時工という「身分」的枠組みへと転形していく。戦後の人員体制においては、正規/非正規の格差を正当化するメカニズムがビルトインされ、それにより両者の連帯を阻む方向で労働者の平等観の転換がなされてきたのである。
|