2017 Fiscal Year Annual Research Report
A study on the realitise of the court-noble`s residence after the Muromachi period, and the establishment and the singnificance of the "Shinden-zukuri" style
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15K06413
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Research Institution | Kansai University |
Principal Investigator |
藤田 勝也 関西大学, 環境都市工学部, 教授 (80202290)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 貴族住宅 / 寝殿造 / 室町時代 / 宮室図 / 復古様式 |
Outline of Annual Research Achievements |
おもに以下4点について考察・解明した。 第一に、近世一條家の本宅屋敷の位置、規模、沿革を示し、復古の具体化は17世紀中頃まで遡り、以後近世を通じて安定的に推移する中で、とくに17世紀後半にその深化が図られたこと、その際当主が参照したのは、作成時期が中世後半、16世紀に遡る「本槐門新槐門図」だったことを解明した。そして摂家では近世初期から、住宅のとくに復古様式再興において、中世の住宅観が色濃く反映されていた事実を再確認した。 第二に、宮廷、公家住宅における織戸、織戸中門の機能・性格を分析し、都市住宅の様式として、とくにハレの空間に規範性をもって継続した寝殿造に対し、織戸・織戸中門はハレの儀礼空間には相応しくない質素・簡略な手法と見なされ、いわゆる「非寝殿造的」な存在であったことを明らかにした。また、平安京の都市化を背景に、鄙びた風情を醸し出すものとして敢えて意図的に設けられたことを推論した。 第三に、裏松固禅編輯の『宮室図』を詳細に読み解き、住宅資料としての価値とその意義を明らかにするとともに、固禅による住宅研究の評価の必要性を指摘した。 第四に、南北朝時代以降、15世紀後半に至る公家住宅の実態把握から次の結論を得た。まず寝殿から表門に至るアプローチの諸施設、ハレ向きの建物群を備える邸は複数存在した。しかも寝殿をもつ邸は清華家から名家に至るまで家格を超えて確認できた。寝殿不在の邸は羽林家や名家など中流公家に見られたが、それはむしろ摂家において顕著であった。また中世後半の住宅観がうかがえる重要な言説を、『兼顕卿記』の、応仁の乱終結直後の文明10年(1478)8月25日条に見いだした。大饗開催に相応しい「本式ノ邸」は寝殿の両脇に東・西対をもつというもので、寝殿造の特徴は建物配置の左右対称性にあるという誤った見方の源泉は応仁の乱直後の貴族の住宅観にまで遡ることが確認できた。
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Research Products
(3 results)