2016 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
15K12637
|
Research Institution | Chukyo University |
Principal Investigator |
近藤 良享 中京大学, スポーツ科学部, 教授 (00153734)
|
Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
|
Keywords | エンハンスメント / 遺伝子ドーピング / コミュニタリアニズム / リバタリアニズム / 自己決定権 |
Outline of Annual Research Achievements |
スポーツ科学に関する国際学会レベルの議論では、スポーツ界のドーピング禁止理由が正当・妥当との判断は下されていない。特に、個人の自由、自己決定権を認める社会においては、一般的にドーピングの禁止は論理的に正当化されないとされる。そこで本研究では、「エンハンスメントとしてのドーピング論」を考察することを目的とした。 研究期間の2年目にあたる今年度〈平成28年度)は、収集した文献の精読を行った。前年度に収集された文献を整理、分析しつつ、エンハンスメントとしてのドーピング問題の広がりを検討した。具体的には、まず、マイケル・サンデル『完全な人間を目指さなくてもよい理由』を精緻に分析した。「エンハンスメントの倫理」、「サイボーグ選手」、「設計される子ども、設計する親」、「新旧の優生学」、「支配と贈与」などの論理構造を明らかにし、マイケル・サンデルの主張が、人間の身体と精神を増強する先端科学技術を考える上で、「生の被贈与性」を原理と提案していた。 次に、脅威とされている遺伝子ドーピング問題について、シュナイダーとフリーマンの『Gene Doping in Sport』を精緻に分析した。「スポーツのドーピング問題」、「遺伝子治療の科学」、「初期の遺伝子移植実験」、「スポーツの遺伝子移植」、「医療試験の倫理と監視」などを考察しながら、治療を超えたエンハンスメントがスポーツ界とどのように関連するかを明らかにした。 3つめは、『エンハンスメント論争』を分析した。第1部:ベターヒューマン~人間増強の政治学、第2部:エンハンスメントと生命倫理の個別論文で構成され、前者は、人間性の改善、知能向上、延命(アンチエイジング)、脳の改善などの是非論が展開されている。後者の第2部では、エンハンスメント論の俯瞰、倫理学、文化論などからエンハンスメントが語られていた。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
平成28年度は、マイケル・サンデルの著書『完全な人間を目指さなくてもよい理由』、シュナイダーとフリーマンの『Gene Doping in Sport』、『エンハンスメント論争』の3つを主に分析した。それぞれ、コミュニタリアニズム的な視点からの「生の被贈与性」、スポーツの真実性(genuity)、「より良い人間とは?(Better Human?)といったキー概念〈原理)が抽出された。 さらに上記に加え、本年度は、新たな分析対象として、生命環境倫理ドイツ情報センター編『エンハンスメント』とウォディングトン・スミス『スポーツと薬物の社会学』を分析対象にした。前者は、バイオテクノロジーによる人間改造と倫理が扱われ、個別には「遺伝子技術」「成長ホルモン剤」「向精神薬」「形成・美容外科」「ドーピング」が考察されている。ドーピングは、生活世界全体が医療化されていく中で、「経済的な成功や褒賞という刺激に支えられて、体を操作に適した客体として扱う現代的な身体観を映し出している」と結んでいる。一方の後者は、現代スポーツにおける薬物使用の問題、エリートレベルの使用、スポーツ医学問題、プロ自転車競技、プロサッカーにおける薬物使用が論じられ、最後には、WADA〈世界アンチ・ドーピング機構)の施策について批判的に検討している。特にWADAの施策について、現状のドーピングコントロールが効果的でないことを踏まえて、より効果が期待できる「ハームリダクション(Harm Reduction)」による健康被害の軽減を行う方向を提言している。 仮にドーピングが禁止されない場合や検査対象とならないレベルの選手、またスポーツ界とは無縁の人々にあっては、自己決定によるバイオテクノロジーの受容の是非が問われる問題でもある。
|
Strategy for Future Research Activity |
次年の最終年度は、「エンハンスメントとしてのドーピング論」をまとめる年度である。まとめは、スポーツ界のエンハンスメント、スポーツ界以外のエンハンスメントに分けて考察する予定である。前者は、最終的に、「スポーツ医・科学」は何を目的にして、選手を改善、増強すべきかが問われる。つまり、怪我、病気(予防を含む)のケア、治療を主たる目的である医療を超えて、スポーツ医学は何をめざす領域なのかが問われる。一般の人の治療とスポーツ選手との治療とは何が異なり、スポーツ選手であれば、治療の名の下に、結果としての増強も可能なのかが問われる。スポーツ医学の目的論は、これまでほとんど議論の俎上にはあがっていないが、最先端科学技術の発展によって、ますます治療とエンハンスメントとの境界が拡大、増幅するであろう。 おそらく、2003年に遺伝子治療の応用を禁止したWADA規程は、治療レベルでの懸念と人体実験場への危惧があったと推察される。遺伝子治療が安易に導入されていくと、「滑りやすい坂道論」が示すように、スポーツ界への積極的導入も懸念される。それは、選手自身が遺伝子治療を希望し、スポーツ医科学者も興味を抱き、結果として両者の欲望が一致すると、秘密裏に治療ではない「エンハンスメントとしてのドーピング」になる可能性がある。選手とスポーツ医科学者のモラルハザードによってスポーツ界は崩壊の危機を迎える。 他方、スポーツ界以外でのエンハンスメントは、人間の欲望をどこまで容認するかに係っている。バイオテクノロジーの発展に伴い、アンチエイジング、成長ホルモン、向精神薬、形成・美容外科など、ますます広がりを見せている。人間の限界性を先端科学技術によって超える試みは、ますます増加することが予想される。人間にとっての幸福とは何かについて、改めて、エンハンスメント論を通じて考察していくことが重要であろう。
|
Causes of Carryover |
研究費の60万円余の繰り越しは、予定していた、国際スポーツ哲学会大会(International Association for the Philosophy of Sport, 2016年9月20-24日、ギリシア、オリンピア)への参加が、校務(秋学期の開始業務)の都合によりできず、その旅費を繰り越したことによる。
|
Expenditure Plan for Carryover Budget |
次年度への繰り越しは、2017年9月5-8日に開催される国際スポーツ哲学会大会(International Association for the Philosophy of Sport, カナダ、ブリティッシュコロンビア州ウイスラー)への参加旅費に充足されるので支障はない。
|