2017 Fiscal Year Annual Research Report
A history of thought on home education for children with disabilities
Project/Area Number |
15K13190
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Research Institution | Rissho University |
Principal Investigator |
志村 聡子 立正大学, 社会福祉学部, 教授 (50406609)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 三田谷啓 / 母の会 / 児童相談 |
Outline of Annual Research Achievements |
当該年度は、三田谷啓(1881-1962)が組織化を促した「母の会」に関連して引き続き資料収集を行い、分析した。その成果を幼児教育史学会大会にて発表した。三田谷に関連して諸地域で展開した「母の会」は多数あったが、そのうち双璧とも呼びうる2つの大きな組織として「大阪母の会」と「甲陽母の会」があった。本発表では、その2つの組織が発足した背景を明らかにした。三田谷は、1918(大正7)年より大阪市役所に勤務、1919(大正8)年の大阪市立児童相談所(全国初の公立児童相談所)の開設運営に尽力したが、1921(大正10)年に依願退職、その後1923(大正12)年に兵庫県武庫郡精道村の村役場2階に阪神児童相談所を設立した。1927(昭和2)年、大阪市東区今橋に三田谷治療教育院を開設した。三田谷が発行した『児童相談』誌上に、1927年2月から大阪市今橋の治療教育院で「母の会」を実施した旨の記事が毎月掲載された。三田谷の相談事業に伴い、大阪市下で母親たちが集うようになったことがわかった。1927年8月、精道村に収容施設「コドモの学園」が完成し、こちらが三田谷治療教育院の本院となった。1928(昭和3)年5月からは、精道村でも「母の会」が実施されるようになる。三田谷が拠点を大阪市と精道村の2か所に持っていたことから、「母の会」がそれぞれに行われるようになった。1928年5月発行の同誌で、「大阪母の会」「甲陽母の会」とそれぞれに名称が与えられた。その後、二つの「母の会」は、競うように活発に活動を持続させていった。「阪南母の会」は、遅れて1932(昭和6)年に発足した。三田谷治療教育院所蔵『日本母の会々員名簿』(1933年発行)によれば、「阪南母の会」の構成員は大阪市住吉区に集中していた。付近には帝塚山学院があり、同会はその講堂を会場としていたが、同会と帝塚山学院の関係は明らかにできなかった。
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Research Products
(1 results)