2017 Fiscal Year Annual Research Report
The Basic Study on a Breeding Ground of the Conservation of Buildings in Modern Times Through the Construction and Maintenance of the Temples and Shrines in the Edo Period
Project/Area Number |
15K14099
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Research Institution | Kyoto Prefectural University |
Principal Investigator |
中西 大輔 京都府立大学, 生命環境科学研究科, 研究員 (20727672)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 賀茂別雷神社 / 賀茂御祖神社 / 造営組織 / 宮大工 / 江戸時代 / 明治時代 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、明治時代に社寺の修理や設計に携わった建築技術者の背景を江戸時代に遡って明らかにしようとしたものである。江戸時代の上賀茂神社・下鴨神社における神官の営繕活動、江戸時代の下鴨神社の宮大工組織、明治時代の京都における営繕活動について調査した。最終年度にあたる本年度は、成果をまとめるとともに補足調査を実施した。以下、概要を記す。 1.江戸時代、上賀茂神社の営繕活動は神官の持ち回りで行なわれた。営繕活動の方針は神官による合議制のもとで決定されたため、方針に急激な変化はなかったとみなせる。一方、下鴨神社の営繕活動は固定された2家の神官によって行なわれた。営繕活動にあたり、神官の長である祢宜・祝に相談されることはあったが、上賀茂神社のような合議制に基づいた営繕活動ではなかったようである。 2.上賀茂神社の宮大工組織は本殿・権殿それぞれにほぼ同じ人数が置かれた。遅くとも17世紀以降構成は変更されず、独立した数軒の宮大工家からなっていたとみなせる。これに対して、下鴨神社の宮大工組織は西本殿・東本殿に対して同じ人数が置かれた。天保年間に構成が変更されたが、これは役務停止となった宮大工の代理を務めた者が、同宮大工の復帰後も同じ階層にとどめられたことによるようである。ただし、江戸時代を通じて特定2姓の宮大工によって上位が占められた。 3.明治時代、寺院の図面作成にあたり、他寺の宮大工がさらに別系統の建築技術者に依頼する場合があった。また、新規の技術者のなかには下鴨神社の宮大工出身者などと交流をもつ者もいた。このようにして社寺建築の技術を体得していく者がいたようである。
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