2016 Fiscal Year Research-status Report
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15K16868
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Research Institution | Kanazawa University |
Principal Investigator |
久保田 慎二 金沢大学, 国際文化資源学研究センター, 特任助教 (00609901)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 先商文化 / 下七垣文化 / 夏王朝 / 殷王朝 / 社会階層 |
Outline of Annual Research Achievements |
平成28年度には、前年度に行った劉荘遺跡における社会構造の考古学的検討に基づき調査・検討を進めた。 まず8月にはこれまでの分析結果に関連し、さらに新石器時代末期の陶寺文化や石ボウ遺跡の検討も加えて中国の国際学会で発表を行った。また2月には河南省文物考古研究所を訪れ、劉荘遺跡出土遺物の実見を行った。担当研究員もまた初期王朝時代を専門とするため、有益な意見交換を行うことができた。特に先商文化たる下七垣文化の年代について、その後期段階がいわゆる二里岡文化に併行する時期まで下るのかが重要な論点であることが分かった。これは下七垣文化の社会構造を考える上でも重要である。つまり、夏王朝たる二里頭文化とどこまで併行するのかという問題と関係するためである。この問題を解決するため、29年度には筆者の編年で下七垣文化後期に相当するショウ鄧遺跡の土器付着炭化物について、年代測定を行う許可を得ることができた。 具体的な分析については、中国における人骨の管理が厳格になってきているため、28年度は発掘報告書に記載された形質面における計測値および性差に基づいて検討を行った。昨年度に執筆した論文ではおおよその見当をつけたが、データを精査したところ、やはり社会階層と性別の間に一定の傾向を見出すことができなかった。つまり、これまで父系社会へと収斂するとされてきた研究史上の見解と異なる結果になった。この結果の位置づけについては下七垣文化の社会性質を推測する上で非常に重要であるため、他の遺跡の分析結果などを待って判断したい。また、人骨の計測値との関係を見ると、上位階層にはほとんど子供がいないことが分かった。これは、劉荘遺跡自体が一般集落であるという集落レベルの階層的位置づけとも関係する可能性がある。 28年度の研究では、上記したいくつかの課題が浮き彫りになったが、一定の具体的な成果を得ることもできたと考える。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
全体としては、当初の計画から大きく外れることなく研究を進められていると考える。 特に、考古学的分析については、劉荘遺跡のデータについてデータベースを構築したうえで詳細に検討することができ、すでに劉荘墓地が2集団から構成され、一定の社会階層を有することを明らかにしている。それだけではなく、同じ下七垣文化に属し墓地が検出されているショウ鄧遺跡や孟荘遺跡、あるいは南城遺跡などの墓地についても一定の分析を加えることができた。これらより、下七垣文化の社会構造をおおむね復元することができたと考える。 現地調査については、歯冠計測を今後行う必要がある。ただし、当初の劉荘遺跡の発掘担当者が病に倒れ、直接の交渉が難しくなった。また、外国人研究者の人骨の分析が次第に厳格になってきている。これについては、継続的な交渉を行っていきたい。歯冠計測はあくまでも非破壊であるため、実現可能であると考えている。また、このような状況は当初からある程度想定しており、申請書にも代替の分析方法として性別や計測値などから判別できる年齢などの要素を墓の階層性と重ね、より具体的な社会構造を解明する旨を記している。したがって、28年度はこちらを重視しながら進めたということになり、ほぼ計画に沿った進捗であった。 研究の成果については、日本および中国の学会で発表する場を設けることができた。これまでの新石器時代に関する研究の蓄積に上積みする形で本研究の成果を示すこともできたため、研究内容の連続性と位置づけを再確認する上でも有益であった。
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Strategy for Future Research Activity |
研究計画では、最終年度はまず劉荘遺跡の集団構造と社会構造を明らかにするとしている。これについては、27・28年度に行った考古学的分析と形質人類学的分析結果の精査を合わせて検討を加える。さらに歯冠計測の結果を含めることができればと考えている。 また、二里頭文化との比較を行うために、二里頭文化の社会構造について研究史を精査して復元する。すでに執筆した論文でも必要になったため、これは先にある程度進めてある。したがって、直近2年ほどの論文を再度見直し、新たな見解が提出されているかをチェックするようにする。そして、最終的に明らかにした劉荘遺跡を代表とする下七垣文化と二里頭文化の社会を比較し、夏・殷両王朝交替の背景について考察を行う。 ただし、28年度の調査で明らかになった下七垣文化の年代の問題については慎重に対応したい。もし下七垣文化後期が二里頭文化と併行せず、その後の二里岡文化と併行するならば、下七垣文化と二里頭文化の間で比較する時期を調整する必要がでてくるからである。29年度の早い段階で再度河南省文物考古研究所を訪問し、ショウ鄧遺跡出土鬲の付着炭化物のサンプリングを行い、下七垣文化後期の年代測定を進めたい。それにより、実年代が明らかになれば、すでに多くの蓄積がある二里頭文化や二里岡文化の実年代と比較することができ、文化間の併行関係を明らかにすることができると考える。 29年度は最終年度であるため、2~3月は全体の研究を総括する期間とし、本研究の最終的な結論を示すようにする。
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Research Products
(8 results)