2005 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
16520010
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
山本 巍 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (70012515)
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Keywords | 友愛 / 孤独 / 真理 / 歓待 / 善きサマリア人 / 身体 / 渡し / アリストテレス |
Research Abstract |
人と人の友愛には互いの間の違いと同一性を跨ぐ両義性がある。人と人が異なり個となる鉄壁の孤独に守られていなければ、なにがしか似たもの同士になってしまうか、あるいは一方の圧倒的支配と影響力の下に他方が立たされるかである。いずれも過剰な一体化が進行する。自己が消える子宮退行現象であって、どんな人間集団にも起きることである。しかし他方、人が孤絶したままでは、何も共にする友がいない。ソクラテスの対話問答の秘密は、真理を第一の友にし、そこから真理探究を共にすることが鉄壁の孤独の二人を新しく友にすることにあった。 見知らぬよそ者は人を不安にする。自分の保護安全圏を侵すからである。不安を消すにはよそ者を消すこと。こうして社会からよそ者として排除されまた抹殺された人は歴史上無数いる。ギリシア人は不安を消す第二の方法を考えついた。よそ者を友として歓待し食事を共にすることである。そこには人間は誰でも運命と偶然の力の前では破れる弱い存在であり、最終的には死の力の前で倒れる悲惨を免れないという共通理解がある。人間の悲惨を共有することで生まれた友愛の姿なのである。 聖書の善きサマリア人の譬えは、悲惨な人間への共感から生まれる援助と歓待の純粋形である。アリストテレスは友愛に平等が基本としたが、助けるものと助けられるものの間でも助けられる屈辱感、助ける優越感という区別が生まれる。従って「誰が誰を助けるか」ということすら消えるべきだったのである。あの譬えが旅先の話としたのは、旅では「誰か」が消えるからである。援助と歓待の善行すら友愛にあってはむしろ知られない内に遂行される様相がある。それは死を含むということであった。 アリストテレスの分析では所有の意義は、自分のものでなくすことができる自由にある。こうして物惜しみしないで与えるこころの広さと豪気をアリストテレスは徳としたわけだ。しかし所有の極みは自分の身体である。とすれば自分の身体とは実に与えるところのものである。献身の美徳がそれを示している。そして友愛の極みは無条件に我が身を与えることにある。友のために死ぬ以上の愛はない、との意味がそこにある。そして我が身を愛に渡し死に渡すその渡しが「わたし」の成り立ちだったのである。ここに友愛の神髄があった。
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Research Products
(1 results)