Research Abstract |
18年度申請書類に記したとおり,今年度の研究は,モーツァルトのオペラ作品《フィガロの結婚》とその土台となったボーマルシェの戯曲作品『フィガロの結婚』における歴史的断絶の表象の問題を解明すべく,あらゆる努力が傾けられた. 目的は,あくまでも,当初の予定どおり,《フィガロの結婚》と『フィガロの結婚』という芸術作品を,歴史的な断絶を表現するものとして読み解くことである.それは,まず何よりも,モーツァルトのオペラを啓蒙のテクストとして読むという困難をともなう作業であった.モーツァルトを啓蒙の表現者としてとらえかえすうえで,わたしに大きな示唆を与えてくれたのは,昨年春にフランス国立図書館で催された「啓蒙!明日への遺産」と題された,大がかりな展示会の内容である.わたしはパリまで出かけてその展示会を実際に見たわけではないが,展示会のカタログを読み,展示会にあわせて企画され,フランス・キュルチュールで放送された,いくつかの「討論会」を聞くことができた.この展示会の総責任者はブルガリア出身で,かつては文学の形式主義的・構造主義的アプローチで名前を馳せたツヴェタン・トドロフだが,彼の主張する,啓蒙という思想的運動のなかに息づく,受け継ぐべき遺産としてのユマニスムの伝統に深く共鳴したわたしは,モーツァルトの《フィガロの結婚》をつねにボーマルシェの『フィガロの結婚』と対比しながら,自律的個人の創出へと向かう「啓蒙」を,音楽的テクストと文学テクスト(リブレット)とのコラボレーションによる意味生産過程のなかに読み取るように努めた.重要なのは,音楽テクストと文学テクストを同時につかまえ,その協同性のなかに,啓蒙の刻印を見いだすことであった.《フィガロの結婚》と『フィガロの結婚』をめぐるわたしの研究は,幸いにして,ひとつの大きな書物としてまとめることができた.その結論部分だけをここに引用しておきたい.「モーツァルトのオペラ,とりわけ《フィガロ》における人間集団の表象が言語を絶するほど素晴らしいのは,ルソーにおける男の<共和国>が,言葉と,そして何よりも音楽の偉大な力によって超克され、真に普遍的な<共和国>の到来が予告されているように感じられるからである.《フィガロ》における女たち,なかんずく,スザンナのために,そう、アンシアン・レジーム社会においても,また革命後のブルジョワ的職業社会においても自己決定的主体と見なされることなど決してなかったひとりの下女のためにわたしが費やした言葉の数々を思い起こしてほしい.もちろん,奉公人で,フィガロという起源のよくわからない名前を持ち,<父>の世界から深く断絶した新しい主人公を形象化すると同時に,彼にマルスリーヌという先駆的なフェミニストの母親とシュザンヌという知性と感性をあふれんばかりに持ち合わせた許嫁を与えたボーマルシェの偉大な功績を無視することは許されない.しかし、フランスの戯曲作家における身分制的・世襲制的な秩序の解体へのエネルギーを,意志的に作られた新しい公共的な世界としての<共和国>への飛翔へと解き放ったのはダ・ポンテ/モーツァルトの共同作業であったように思われるのである.」 最後に,わたしの《フィガロの結婚》にかんする考察が,一昨年来つつましく進めていた「共和国」概念にかんする研究とリンクしていることを強調しておきたい.
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