2004 Fiscal Year Annual Research Report
18世紀後半のドイツ諷刺文学における主体の表出の諸相
Project/Area Number |
16520150
|
Research Institution | Osaka Kyoiku University |
Principal Investigator |
亀井 一 大阪教育大学, 教育学部, 助教授 (00242793)
|
Keywords | ドイツ文学 / 諷刺 / 物語論 / ジャン・パウル / ケーテ・ハンブルガー / 機知 / ナンセンス / 主体 |
Research Abstract |
ケーテ・ハンブルガー(K.Hamburger)の『文学の論理』における主体概念を諷刺テクストという視点から検討する一方で、ジャン・パウルの諷刺テクストについて主体=言表=関係の成立の可能性をさぐった。 1.ケーテ・ハンブルガーは、物語(叙事詩)の虚構性を理論的に確立するために、現実の場における言表と主体の関係が虚構においては成立しないこと、物語における主体(=作者)の消失を主張する。諷刺テクストはしばしば、虚構性の強い、荒唐無稽の物語という体裁をとるが、しかし、本来の諷刺的機能を考慮するならば、テクストは多かれ少なかれ、テクストをとりまく(社会的)現実を直接、間接に指示しているはずであり、そのかぎりで、手紙などと同様に、主体=言表=関係がなんらかの形で潜在することが想定される。 2.ジャン・パウルの初期諷刺論文『悪魔の文書からの抜粋』は、当時の社会体制に対する批判、階級・職種別人間描写にならんで、作者、書く行為そのものに対する省察が形象化されている。精神と肉体の分裂というイメージによって、テクストにおける主体=言表=関係そのものの虚構性が浮き彫りにされる。その意味で、作者を主題化したテクストは、社会諷刺のテクストよりも虚構性が強いと言うことができる。 3.精神と肉体の分裂というモチーフは、『フィヒテの鍵』において言語論に転用される。ここでは、「自我」という用語から形而上学的含意を首尾一貫して排除することによって、ナンセンスな世界が描かれる。また、『美学入門』の機知論では、言語における徴と意味の乖離が表現の方法として理論化されている。機知は、ことばの意味を超えてことばの指示機能そのものを主題化し、しばしば発話主体の意図をも相対化してしまう。
|