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2006 Fiscal Year Annual Research Report

13世紀ケムブリッジシァにおける在地権力構造の総合研究

Research Project

Project/Area Number 16520455
Research InstitutionKansai University

Principal Investigator

朝治 啓三  関西大学, 文学部, 教授 (70151024)

Keywords王国共同体 / 国王 / 特権諸侯 / 陪審 / 巡回裁判 / パーラメント / バロンの反乱 / ケムブリッジシァ
Research Abstract

科学研究費補助金を利用して渡英し、古文書を転写し、コンピュータに入力した。それらは国王裁判官がケムブリッジシァにおいて実施した巡回裁判の文書、およびそれに関連する文書である。その作業の結果次のことが分かった。国王裁判官は在地のハンドレッド陪審による告発や評決を尊重した。また特権諸侯の裁判権をも尊重した。特権領域は相互に独立的で、特権領主の裁判権だけでは在地社会を取り仕切ることはできず、現地陪審員に主導権があった。陪審員の利害は一体ではなく、彼らが「地域共同体」なるものを構成していたとは言えない。これらのことから、1260年代のイングランド王国の司法の構造を読み取ることができる。国王裁判権が全国住民を一元的に把握しているとはいえない。在地住民からなる陪審に大いに依存していた。特権領は散在しており、特権領主も在地社会を完全掌握しえてはいない。在地住民にとっての国王が持つ必要性は、治安の維持と土地保有権の一元的管理である。国王がその任務を果たす限りにおいて、在地住民や特権領主は国王裁判官に協力したが、ときには告発の隠匿や甘い評決で対抗した。国王裁判官が在地の権力関係に深入りしなかったことはイングランドの特徴である。対外交渉や戦争、徴税については国王と特権諸侯とがパーラメントという話し合いの場を設定して決定した。しかし王国の司法行政の実務は在地住民が構成する複雑で相互対立的な、地域ごとに異なる権力構造が総体として事実上、担っていた。三者は相互に独立的で、特に在地権力構造は分散的である。1258年以前の国王は王国統治にはさほどの熱意を示さず、在地住民の国王への期待は満たされなかった。王国の財と軍事力を国王の対外遠征に奪われた、諸侯も同様であった。1258〜65年のバロンの反乱では、特権諸侯は国王に、協議による国政という体制を作ることに合意させた。在地の期待は、恩顧の拡大という形で一部は叶えられた。

  • Research Products

    (2 results)

All 2006

All Journal Article (2 results)

  • [Journal Article] リターン号事件(一六七三年)と一七世紀後半の国際関係2006

    • Author(s)
      朝治啓三
    • Journal Title

      関西大学東西学術研究書紀要 39

      Pages: 49-65

  • [Journal Article] Session one : Chairman' S note2006

    • Author(s)
      Keizo Asaji
    • Journal Title

      Migration and Identity in British History

      Pages: 5-6

URL: 

Published: 2008-05-08   Modified: 2016-04-21  

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