2004 Fiscal Year Annual Research Report
近世城下町における帯状街区・面的街区の受容に関する調査研究
Project/Area Number |
16520473
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Research Institution | Osaka City Cultural Properties Association |
Principal Investigator |
松尾 信裕 財団法人大阪市文化財協会, 調査研究部・研究資料課, 課長代理 (10344376)
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Keywords | 織田政権 / 豊臣政権 / 帯状街区 / 面的街区 |
Research Abstract |
近世城下町の中に出現している帯状街区を探るため、その出現期の都市が展開している近畿地方と中部地方の城下町の巡検を行った。 岐阜城下町では惣構内の城郭から西に延びる城下町と、惣構から南に延びる2条の道路によって構成される帯状街区を巡検した。その結果、惣構外の南に延びる町屋は道路方向が惣構内の道路と一致せず、建設時期が異なると推定できた。同時期の小牧城下町にも同様の街区構造があると考えられるが、今年度には巡検できなかった。 松ヶ島城下町と松阪城下町の巡検では、城下町の成立過程の把握と構造の変化を確認した。松ヶ島城下町は中世の港湾集落である松ヶ崎を取込んで城下町としており、豊臣初期の大坂が渡辺を取込んで城下町としたことと共通する。ここにも帯状街区が存在していた。松阪城下町は城下町の範囲が周辺の地形よりの一段高くなっており、町の建設に当たって盛土等が行われ、その後も造成が繰り返されたことで周辺部より高くなったと考えられる。 大坂城下町と同時期の伏見城下町は、1期の指月城期と2期の小幡山城期とで城下町の構造が変化しているようである。1期段階では城郭に向かって竪町構造を持つ2条の街区が存在しているようで、2期段階には城郭と武家屋敷地域の西側に南北2条の横町形態を持っ町屋が建設されている。いずれも帯状街区構造であり、豊臣期の城下町の基本構造と想定できた。 石川県金沢城下町に先行する七尾市小丸山城下町でも3条の道路を基本軸とする帯状街区を確認した。 帯状街区は織田段階の城下町に萠芽し、その後、織田政権を継承した豊臣政権に城下町の基本形態として導入され、その後の徳川期城下町に定着したのであろうとの予測ができた。
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