2005 Fiscal Year Annual Research Report
戦後日本における人口政策と家族変動の相互関係に関する歴史社会学的研究
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16530361
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Research Institution | Sonoda Women's University |
Principal Investigator |
山本 起世子 園田学園女子大学, 国際文化学部, 助教授 (50230545)
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Keywords | 家族政策 / 高度経済成長 / 母子保健 / 人口変動 / 家族変動 / 乳児死亡 / 家族計画 |
Research Abstract |
本年度は、高度経済成長期における母子保健事業、障害者や未熟児の出生防止政策の立案過程と実施状況について考察した。そこで得た知見は、以下の通りである。 この時期の母子保健政策を代表する「母子保健法」は、出産・育児の基盤となる母性の保護尊重、乳幼児の健康の保持増進を目的として1965年に成立した。母性、乳幼児の保護者とともに、国や地方自治体が母子保健に関する責務を有することが規定された点が重要である。また、市町村、とくに農山漁村における母子保健事業の拠点として、母子健康センターの設置が促進され、乳児死亡率における都市と農山漁村との地域格差の解消、周産期死亡率および妊産婦死亡率の低下を目指した点も大きな特徴である。自宅分娩を減少させ、施設分娩を増加させること、妊産婦と乳幼児の保健指導、健康診断を行うことによって、出産・育児の医療管理が強化されたのである。母子保健法成立の社会的背景としては、1960年代には、急速な経済成長と出生率の低下のもとで、人工妊娠中絶の増加、異常分娩、先天性障害が問題化し、「人口資質の向上」がスローガンとなったことが挙げられる。その中で、「労働力供給の源泉」としての子どもの健康管理、母性の尊重が重要視されるに至った。 兵庫県で全国に先駆けて1966年度より実施された「不幸な子どもの生まれない施策」も、子どもや妊産婦の健康管理を強化した政策である。「不幸な子ども」とは、(1)中絶されるなどして生まれてくることを希望されない子ども、(2)周産期に死亡する子ども、(3)遺伝性疾患、妊娠中の病気や出産時・乳幼児期の治療を怠ったために生じた障害をもつ子ども、(4)家庭環境や母親の健康状態が悪く、乳幼児の保育が十分にできない子ども、を指す。以上のような子どもの出生を防止するために、地域における愛育クラブの設置、健康相談の実施、家族計画指導、栄養指導、妊娠中毒症の予防、先天性異常児防止などが推進された。
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