2004 Fiscal Year Annual Research Report
明治文学における宗教的言説の批判的考察-イギリス文学との比較を通して-
Project/Area Number |
16720039
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Research Institution | Mie University |
Principal Investigator |
尾西 康充 三重大学, 人文学部, 助教授 (70274032)
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Keywords | 明治文学 / キリスト教 / イギリス文学 |
Research Abstract |
自由民権運動が北村透谷の人生に決定的な影響を与えたのはいうまでもないが、とりわけ留意しなければならないのは、<暴力>に対して彼が一貫して拒否を示していたことである。透谷は作品のなかで、明治新政府による暴力はいうまでもなく、民権壮士が豪毅さを尊ぶあまり家庭内で振るって見せた暴力なども批判している。暴力を拒絶する彼の意思が最もよく示されているのは、大矢正夫たち武相困民党のメンバーが爆弾テロを計画した際に、彼ら盟友と訣別した行動であろう。 また民権運動からキリスト教に転じてからも、小さな暴力さえ見逃さない態度は変わっていない。教会内で「つまらぬ批評眼をもつて他の小悪小非を穿つ」輩の偽善に満ちたやり方を批判し、「我は凡ての教会の黙了せん時に大活気の炎上すべきを信ず」と断言している。西欧においてプロテスタント教会は、カトリック教会の教皇至上主義にもとづいた世界支配に対抗して、世俗権力と手を結びながら闘争発展したために、ナショナリズムを内在させたものであった。そのため日清・日露戦争において日本のプロテスタント信徒の多くが開戦に賛成したことは決して日本の特殊事情ではなく、その教派が本質的にもっていた傾向のためであったといえる。透谷の文学は国民統合を進めるナショナリズムと結びつく一面がある。しかしこれまで透谷研究者が繰り返し強調してきたように、透谷が描き出そうとした国民像は明治新政府が目論んでいた国民ではなく、むしろそれに異議申し立てを行う<理念としての国民>であった。その意味では、透谷のロマン主義的な国民像は、想像の共同体を形成して国民国家の基とする近代ナショナリズムに資するものであったといわざるを得ない。だが、それは同時に社会の現実に抵抗するものであって、彼の暴力に対する一貫した拒否の姿勢は、<非暴力・非戦>の思想を導くものとして評価できる。ブレイスウエイトを通じてクエーカーの信仰を教えられた透谷は、暴力を憎む平和主義を自らの信条としたのであった。
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Research Products
(2 results)