2005 Fiscal Year Annual Research Report
明治文学における宗教的言説の批判的考察-イギリス文学との比較を通して-
Project/Area Number |
16720039
|
Research Institution | Mie University |
Principal Investigator |
尾西 康充 三重大学, 人文学部, 助教授 (70274032)
|
Keywords | 北村透谷 / 比較文学 / クエーカー教 / ブレイスウエイト / シェイクスピア / ハムレット |
Research Abstract |
北村透谷は内村鑑三に触れた評論は少ない。鑑三個人への言及がないばかりか、世を揺るがす一大騒動にまで発展した不敬事件への言及も見あたらない。不敬事件が遠因となった「教育と宗教の衝突」論争に際して、透谷は高橋五郎や鑑三や正久たちキリスト者側に組するのではなく「吾人は井上博士の衷情を察せざるを得ず」という傍観者的な態度を示した(「井上博士と基督教徒」、「平和」第一二号、一八九三年五月三日)。<父なる神>を信仰するキリスト教と近代天皇制との間で生じた象徴権力の衝突には格別の注意を払わなかったのか、「東西の両思想遂に調和するを得べきか、調和せば国家の面目は之を維持するを得べきか、調和せざれば遂に如何なる結果をや生ぜん」とする。そして「真正の哲学者なくして是等の問題を如何にすべき」と、その解決を哲学者の手に委ねようとしているのである(「文界時評」、「評論」第八号、一八九三年七月一五日)。 内村鑑三は自己を「脳病」に陥らせた不敬事件を通じて強く鍛えられ、足尾銅山鉱毒事件や日露戦争非戦論を経て無教会主義を主張することよって<厳父>と化した(「基督教新聞」第四七七号、一八九二年九月一六日)。それに対して民権同志との訣別によって「脳病」に陥りながら、透谷は最後まで<父>になることはなかった(石阪美那子宛書簡草稿一八八七年八月一八日)。透谷は自由民権運動において近代天皇制と向き合い、キリスト教において父なる神と出会ったが、それらの象徴権力との対決を通じて自己の主体を形成させるというプロセスは徹底されなかった。しかし逆説的に、それによって透谷は象徴権力を構成する原理を懐疑しそれらと共犯関係を結ぶことのない言説の審級を手に入れることができたのである。最後まで去勢されることのなかった透谷の詩的エネルギーは絶対的な外部を志向しながら近代日本の諸相を鋭くとらえたのである。
|