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2006 Fiscal Year Annual Research Report

明治文学における宗教的言説の批判的考察-イギリス文学との比較を通して-

Research Project

Project/Area Number 16720039
Research InstitutionMie University

Principal Investigator

尾西 康充  三重大学, 人文学部, 助教授 (70274032)

Keywords北村透谷 / 明治文学 / キリスト教文学
Research Abstract

北村透谷は神の内在を重視する信仰に従って文学を創作し、経済発展に性急なあまり精神を重んじることを忘却してしまった明治社会を痛罵した。「内部の生命は千古一様にして、神の外は之を動かすこと能はざるなり」という<内面の発見>によって日本近代文学の端緒を開き、「詩人哲学者の高上なる事業は、実に此の内部の生命を語るより外に出ること能はざるなり」と主張した。透谷はキリスト者として人間に内在する神に着目し、神以外何人たりとも触れることのできない人間の内面を語ることが文学の務めであることを説いた。その一方、文学者として自我の葛藤を凝視するあまり、<父なる神>を仰視して信仰の主体を形成することは不充分であった。「蓬莱曲」の主人公柳田素雄が蓬莱山頂で対峙した「大魔王」は、超越的な力を持つ<父なる神>の象徴であった。素雄は大魔王に斬られて死ぬのでもなく山頂から飛び降りて自殺するのでもない。日本語で狂気を意味する最も古い言葉「たふれ」が使われ、素雄がその場にうずくまって狂死する姿が象徴的に表現されている。このように透谷の詩は、主体を形成しきれずに苦しむ自我の葛藤が描かれ、残念ながら信仰の主体が作品のテーマにはなることはなかった。
透谷の周囲には新渡戸稲造や山路愛山、有島武郎以外にも田村直臣、松村介石、福田英など近代日本社会で一際光彩を放って活躍した個性的なキリスト者が数多く存在していた。彼らの信仰は教義上決して正統とはいえないものばかりだったが、多方向へと放散したエネルギーの光源を探れば、かならず透谷と鑑三の存在にたどり着くだろう。透谷と内村鑑三が同時代の誰よりも深い次元で神に出会っていたことに疑いを差しはさむ余地はなく、十字架上のキリストを<仰視する>のと、内面に宿る神を<凝視する>のとでは、神に対する視線が逆方向のように感じられるが、日本キリスト教文学は彼らの対照的な精神を基軸にして構成された歴史を持つといえる。作家は彼らの存在を意識しながら自己を措定し、信仰における神の超越と内在、主体と自我の関係を思惟しながら創作を展開していったのである。

  • Research Products

    (3 results)

All 2006

All Journal Article (2 results) Book (1 results)

  • [Journal Article] 北村透谷における民族と英雄の問題-人生相渉論叢と英雄時代論叢から2006

    • Author(s)
      尾西康充
    • Journal Title

      国文字解釈と鑑賞別冊北村透谷 (特集号)

      Pages: 253-262

  • [Journal Article] キリスト教文学としての「蓬莱曲」-「ハムレツト」との比較を通して-2006

    • Author(s)
      尾西康充
    • Journal Title

      三重大学日本語学日本文学 17

      Pages: 47-58

  • [Book] 北村透谷研究- <内部生命> と近代日本キリスト教2006

    • Author(s)
      尾西 康充
    • Total Pages
      289
    • Publisher
      双文社出版

URL: 

Published: 2008-05-08   Modified: 2016-04-21  

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